挑戦を呼び込む「いたずら心」

元来、早寝早起きだ。ある朝、誰も来ていない部の部屋で、部下たちの机にある電話の受話器の下のボタンを全部、透明なセロテープで押さえつけた。みんなが出勤し、やがて電話が鳴る。でも、受話器をとっても、ボタンが上がらないから、呼び出し音が鳴り続く。それが、あちこちで増え、部屋中で鳴り響く。部下が「どうしたのかな、故障かな?」といぶかるのを横目に、「僕は知らないよ」と知らん顔を続けた。

そんな「いたずら心」は、40代半ばまで務めた人事・勤労の時代に身に付いたようだ。地味で、変化に乏しい職場だけに、どうしても明るさがない。やりすぎて、相手を怒らせてしまってはいけないが、場を和ませ、笑いが絶えないようにするくらいなら、許されるのではないか。

給与課長のころだ。部屋の奥に部長席があり、みんなの方を向いていた。いつも監視されているようで、窮屈だ。そこで、毎日、部長の机の向きを、誰にもわからないように、ちょっとずつずらしていく。部長は全く気づかない。「よし、よし」とほくそ笑んでいたら、ある日、先輩課長が「あれ、部長、机の向きが全然、違いますよ」と言ってしまう。部長にはこってり絞られたが、職場は、しばらく、笑いで包まれた。

成田空港支店の支店長だったときには、面白い印鑑をいくつか手に入れて、書類の決裁に押した。それらしき字で「雲国斎」とか「雲竹斎」とある。読めば、「うんこくさい」「うんちくさい」で、何やら尾籠な響きになるが、しばらく誰もわからない。やがて、総務課長にみつかったが、いっとき、十分に楽しめた。

ニューヨーク支店長になっても、「いたずら心」は忘れない。でも、よく覚えているのは、成田山新勝寺の参道に並ぶ土産物屋や旅館の女将たちが、慰問にきてくれたときのことだ。90年代の半ば過ぎ、「初めての外国生活で、苦労しているだろう」と、地酒の一升瓶をぶら下げ、着物姿でマンハッタンに繰り出し、ロックフェラーセンターにあった事務所にやってきた。お礼に食事をと言ったのに、逆にご馳走になり、お客としての意見も聞かせてもらう。率直な生の声は、貴重だった。

2010年度、国内線と国際線を合わせた年間旅客数が、初めて日航を抜いた。01年に社長になったとき、中国を中心に、成長を続けるアジアの空に照準を合わせた戦略が、結実する。日航が経営再建に向けて路線を削減したことも大きいが、地道な顧客開拓が開花した。

でも、まだまだ、足りない。10年度は、「アジアで一番の航空会社になる」という目標の年だった。日本一にはなったが、まだアジア一とは言えない。日本一は、全職場が一丸となった成果だと、心から誇りに思うが、それは「不形於色」だ。この9月に新機材「B787」の一番機が届き、いよいよ飛び立つ。導入は、自分が社長時代に決めた。さらなる飛躍へ、東日本大震災からの復興へ、期待は大きい。

だが、ちょっと、気になる点もある。初めて日本の頂点に立ち、緊張したのか、気が緩んだのか、いまの全日空には、どこか躊躇しているところがある。明るさや、伸びやかさが、足りない。もっと、自信を持たねばいけない。部長だったとき、部下が何か新しいことに挑戦してみたいと言ってきたら、必ずやらせた。新しい試みは真似されるが、先にやったほうが勝つ。なのに、いま、ブレーキをかけてはいないか。

11月1日、「B787」が定期便に就航し、第一便が岡山と広島へ飛ぶ。岡山は、小学校から高校まですごした故郷だ。第一便に乗り、帰りの岡山発第一便のテープカットに出席する。この就航が、躊躇など振り切り、新たな出発点になってほしい。故郷で、そう祈るつもりだ。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)