中東の狂犬カダフィ大佐と2度の会談をした小池百合子氏は、日本の国会議員として初めて、内戦中のリビアに入国。リビア情勢の最新事情と交渉力に劣る日本政府と日系企業の実態が明らかに。

アブドルジャリル氏(左)を議長とする国民評議会側につき、権益を奪取しようとする欧米。
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アブドルジャリル氏(左)を議長とする国民評議会側につき、権益を奪取しようとする欧米。

年明けから、チュニジア、エジプト、バーレーン、リビアなどで起こった「アラブの春」は、一時の熱狂的盛り上がりの時期を経て、次なる展開へ進み始めています。そんなアラブ情勢の中、私は8月4日に日本リビア友好協会会長として民間ベースの交流関係を構築する目的でリビアを訪れ、リビア北東部のベンガジで暫定政府である国民評議会(NTC)の幹部の人たちと会談をしました。大統領格の評議会アブドルジャリル議長(写真・左)や暫定首相のジェブリル、そして外務大臣級といわれるアル・イサウィです。

会ったのはラマダン(断食月)中の5日の深夜1時すぎ、ラマダン中だからこその時間です。議長は、カダフィ政権で法務大臣を務めましたが、いち早く政権から離脱した人です。彼はカダフィ大佐も出席している会議で、「私は法務大臣の立場として、(イスラム)法の下に判断します」と発言した人です。出席者は凍りついたでしょうが、同時に勇気ある発言と思ったでしょう。リビアには憲法はなく、明確な法律もありません。議会はあってなきが如くで、憲法も法律もすべてがカダフィそのものです。「法の下で判断します」とは、カダフィを無視すると宣言したに等しいのですから。

 ベンガジから200キロ東の議長の自宅へ迎えられると、驚いたことに議長はひどく粗末な木の椅子に座りました。私がかつてカダフィと会ったときの、彼がとった尊大な態度とはまったく正反対でした。

私はカイロ大学に留学中から、リビアには何度も行き、カダフィとは直接2回会っています。最初は1978年でテレビ取材のコーディネーター兼通訳としてベンガジの兵舎で会いました。2009年に首都トリポリ市内にあるカダフィの邸宅の庭に張られたテントに招かれたときにはカダフィは玉座のようなソファに座り、まさに王様の振る舞いでした。かたや議長は無私の精神の人といわれます。遠来の客のもてなし方や先ほどの発言を聞くと国民評議会の中で尊敬されているのは明らかです。

そういえば初めてベンガジの兵舎でカダフィに会ったときのことです。兵舎の掲示板に「クーデターすごろく」といってもいいようなイラストが描かれていました。謀反を起こす者が徐々に増える段階。次に誰かが謀反を察知し、密告の段階。次に秘密警察の捜査に遭い、ゴールが絞首刑です。謀反を起こすとこうなるぞ、と識字率の低いリビア国民を絵で脅しているのです。リビア各地には秘密警察が網羅され、カダフィの批判を口にすると翌日には当人は姿を消し、部族であればひどい仕打ちを受けるという恐怖政治が行われてきたのです。

カダフィが世界中の人々をあきれさせていたのが子どもたちへの溺愛です。カダフィには7男1女がおり、次男のセイフ・イスラムが後継者と見なされていましたが、イタリア・セリエAのペルージャに入った3男には、コーチとしてマラドーナやベン・ジョンソンをつけました。5男がスイスで暴行事件を起こしたときには、スイスとの国交が断絶状態になりかけるほどでした。一応は共和制であるリビアで、事実上の元首であるカダフィが息子を後継者に据えようとしたわけです。それに対して彼の取り巻きの中にも批判する者がいたし、部族の間からも不満の声が出ていました。

チュニジアのベンアリ前大統領は長期政権化し、夫人の贅沢な暮らしぶりや彼女に連なる一族の莫大な利権が国民の不満を生み、ムバラク前大統領は後継者を息子にしようとして多くの国民から強い反感をもたれました。アラブとはいえ、共和制の下で息子が後継者になるのは国民の強い反発を招きます。それを秘密警察の力で押さえつけてきました。しかし最近ではフェイスブックやツイッターで結ばれる草の根ネットワークが監視の網を突き破ったのです。