ユーザーの利便性が商品を決める時代

日本の得意技であったものづくりがいまは通用しなくなっている。この「ものづくり」という呼び方自体が、私には時代に合っていないように思える。

ネット時代に入ってから、メーカーは製品をつくるだけでは収益に結びつかなくなった。ネットの世界とつながって初めて、製品は価値が認められるのだ。かつてのものづくりと、ネット技術の連携が求められているのだ。

ロイター/AFLO=写真

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8月に発表されたグーグルのモトローラ・モビリティ買収は、ネットの世界から仕掛けたものづくり復活の第一弾であり、新たなフォーマット戦争の幕開けともいえる。これまでパソコン、携帯電話、スマートフォン、タブレットPCと、フォーマット戦争で日本は負けっぱなしだった。いくらいい製品でも、外国企業の規格に合わせてつくるのでは下請け業者と変わらない。自分たちで規格をつくり、覇権を握ろうとする姿勢が日本のメーカーにはそもそもない。

日本のものづくりは、数多くの技術を集約し、最終製品をつくることを得意としてきた。例えば自動車なら3万点もの部品があり、それぞれに高い技術が駆使されている。そのため技術者は、機能と品質のずば抜けて高い製品をつくろうとし、そこに意義を感じる傾向にある。いわゆる強烈なプロダクト・アウトの思想だ。

ところがネット時代はものづくりの考え方が逆になる。グーグルのように、ユーザーが欲しがるソリューションを提供することが“プロダクト”なのだ。そのモノを使うときの利便性や喜びが先にあり、その実現に向けて技術を広げていく、あるいは不足する技術を獲得する。「素晴らしい製品をつくる」のが目的でなく、「素晴らしい経験の入り口を提供する」のが目的なのだ。

例えばiPhoneについて「音質がいい」といった話をほとんど聞かないのも当然で、それはユーザーの利用価値を追求しているものの、モノに技術を集約させる発想で開発されていないからだ。

日本製のテレビは画質がいいといくら評価されても、アメリカやヨーロッパの先進国では「テレビメーカー」というものがすでにない。日本人は小さなカテゴリーの中でのシェア争いが好きだが、そろそろ一段上のステージに進まないと他国にどんどん追い抜かれることになる。

いまの時代、テレビでいえば、画質のよさだけでなく、それで何を観るかというコンテンツのほうが重要だ。例えば過去に放映した番組を好きなときにいつでも、何度でも観られる蓄積型メディアを開発する。これは、従来のテレビの開発領域を超えた動きで、これからはそういう利便性をとことん追求すべきだ。

ネット時代はユーザーが自分たちで利便性を追求し、イノベーションを起こすこともある。いまやユーザー数が5億人を超えるといわれるフェイスブックも、初めはハーバードの大学生が自分たちのために開発したサービスだった。そのサービスが便利で楽しければ、ユーザーは自然と広がり、新しい機能が次々と付加されていく。これは、組織力によるイノベーションではなく、いわば個人の力によるイノベーションだ。そのようなユーザーイノベーションの時代がすでに到来している。

※すべて雑誌掲載当時

(伊田欣司=構成 永井 浩=撮影 AP・ロイター・YOMIURI/AFLO=写真)