コロナ禍は社会にさまざまな変化をもたらした。文筆家の御田寺圭さんは「このパンデミックは市民生活における『健康』の観念を変えた。健康を目指すことが社会的な規範として要求されるようになったのだ」と指摘する――。

「アフター・コロナ」の世界で元通りにならないもの

世界ではいま、ワクチン接種が着実に進行しており、長きにわたったコロナとの戦いのトンネルにようやく光が見えはじめている。一時期はパンデミックの影響で国内最悪の失業率に沈んだラスベガスでは、ワクチンの普及が進んだ結果として市民社会の行動制限が大幅に緩和され、「ワクチン接種者はマスクの着用不要」となり、にぎやかな街のかつての日常風景が取り戻されつつある(テレ朝news『制限緩和のラスベガス マスクなしの観光客で賑わう』2021年6月2日)。

日本も遅ればせながらワクチン接種が開始され、高齢者を優先対象として急ピッチでワクチン接種が進捗している。社会活動をなんら制限もされることなく、むろんマスクもつけることなく、昼夜を問わず街に活気が戻ってくる日が日本にも再びやってくることを期待せずにはいられない。

世界はいま、急速に「コロナ後」に向かって歩みを進めている。あの懐かしくいとおしい日々を取り戻そうと、世界中の人びとが懸命な努力を続けている。

だが、たとえワクチンが普及して、街には以前のような人出と活気が返ってきたとしても、二度と元に戻らないものも必ずある。「あの頃」の景色をいくら取り戻しても、二度と元通りにならないもの――それは、人びとの「健康」に対する考え方だ。

新型コロナ/閉鎖された一般喫煙所
写真=時事通信フォト
緊急事態宣言再発令から2度目の週末を迎えた渋谷の街中、閉鎖された一般喫煙所=2021年1月16日午前、東京都渋谷区

コロナ前までの「健康」は個人的なものだった

新型コロナパンデミックは、市民社会における「健康」の観念に決定的かつ不可逆的な変化をもたらす。

コロナ前までの世界での「健康」とは、あくまで人それぞれが、健康によって得られる個人的なメリットを獲得するためという目的意識のもとで――過大に見積もってもせいぜい個人的な倫理観にもとづく努力目標として――たしなまれていることがもっぱらであった。「健康」はもちろんそれ自体が善いことではあるが、それは「個人の利益」に照らし合わせれば善いことであるという、私的な範囲での意味づけにとどまっていた。

だが、新型コロナウイルス感染症では、糖尿病や肥満などの生活習慣病が重症化リスクに直結することが明らかとなった。また重症化した罹患者は、その治療のために人的にも設備的にも多大な医療リソースを費やすことが求められることも、もはや周知の事実となっている。ある個人の健康状態が、そのまま社会の安定/不安定化に直結する生々しい現実に、私たちは直接・間接問わず直面することとなった。