日本は環境対策で優れたことをすでにたくさんやって貢献してきた。それなのに、これまで努力してこなかった国と同様に「環境後進国」扱いされるのはおかしい。もっとアピールすべきだ。日本人の嫌いな自画自賛が、今、国際舞台では必要だ――。
新型コロナウイルスからの復興と気候変動・環境対策に関する各国環境相らとのオンライン会議で、議長を務める小泉進次郎環境相=2020年9月3日、東京都港区
写真=時事通信フォト
新型コロナウイルスからの復興と気候変動・環境対策に関する各国環境相らとのオンライン会議で、議長を務める小泉進次郎環境相=2020年9月3日、東京都港区

控え目は「美徳」というより「欠点」

元来、控えめなのが日本人の特徴で、過度な自慢話は恥ずかしいというのが国民の常識。ただ、自分自身が控えめだと、他人の自画自賛に気が付きにくい。それどころか、聞かされた話を丸ごと信じて感心したりする。こうなると控えめも、美点というより欠点に近い。

片や、世界の多くの国民は、他人の言うことをそのまま信じたりはしない。競合相手の乏しかったのどかな国(日本?)は別として、少なくとも隣国とせめぎ合い、侵略したり、されたりという時間を生きてきた国々では、簡単に人を信じたら、妻や娘をさらわれたり、命を失ったりする危険があった。そして、そのDNAは簡単には消えないらしく、皆、今でもかなりうたぐり深い。実は、ヨーロッパのほぼすべての国がこのカテゴリーに入る。

身近な例で言えば、日本の銀行でカードを作るとき、暗証番号を用紙に書けと言われるが、ドイツ人はそれを知るとビックリ仰天する。銀行に悪い人が1人もいないなどということを、彼らは想定していない。

「既成事実を都合よくねじ曲げる」のは国際社会の日常

ドイツでは、暗証番号はコンピューターが勝手に考えた数列で、誰の目にも触れないまま自動的に印刷され、外からは絶対に見ることのできない封筒に自動封印されて、カードとは別に送られてくる。だから、暗証番号を忘れてしまえば、(ハッカーなどがいない限り)世界中で誰も知らないため、新しいカードを作ってもらうしかなくなる。

当然ながら学校教育でも、良きにつけ、悪きにつけ、「疑え!」ということを子供に教え込む。その背景には、「皆でヒトラーに騙されたから」というトラウマも潜むらしいが、これは少々怪しい。

ドイツ人は「皆でヒトラーに騙された」のではなく、「皆でヒトラーを信じた」のではないか。ただ、今になっては、それでは決まりが悪いので、騙されたことになっている。そして、その件に関してはなぜか誰も疑わず、皆で信じる。

そう聞くと、日本人なら「それはご都合主義ではないか」と考える。しかし、実際には、既成事実を自分たちに都合よくねじ曲げるということも、世界の国々ではかなり日常的に行われている。その際、つじつまを合わせるために他の国を批判することもまれではない。日本は、しばしば不当に批判されていると私は思うが、よりによって、日本人はそれさえそのまま信じてしまう。