1990年代後半から2000年過ぎにかけ、過剰反応的な製造業悲観論が日本を覆っていた。それが一転、昨今は「ものづくり」ブームともいえる現象が起きている。筆者は偏ったマスコミの報道に異議を唱える──。

現場とマスコミ間にあった「ものづくり観」のズレ

昨今、「ものづくり」という言葉を新聞やテレビでよく見聞きするようになった。ものづくり経営学の専門家を標榜する筆者にとっては、喜ばしい話ではある。数年前と比べれば隔世の感がある。

世紀の変わり目の2000年ごろ、大手新聞、例えば日本経済新聞の1面で「ものづくり」という言葉を目にすることはほとんどなかったと記憶する。1面をにぎわしていたのは、日本経済は衰退する、とくに金融や建設が弱い、一部の事業会社の業績も悪化している、外国企業に負けている、外資の傘下に入っている、地方経済が疲弊している、製造業は中国にシフトしている、等々、総じて悲観的なものばかりだった。ものづくり現場の粘りや強みは、そこからは伝わってこなかった。

ところが、同じころの日経産業新聞の、例えば15面あたりを見ると、実はものづくり現場の地道な取材をちゃんとしている。その取材記事を見る限り、日本の生産現場がバブル崩壊とともに総崩れになった、という結論は、どうやっても出てこない。

かく言う筆者も、生産管理や技術管理が専門で、週に少なくとも1回は工場や開発の現場に出かけているが、そこで繰り返し目撃したものは、前述の新聞1面の悲観論とはかけ離れていた。確かにどこの現場も苦労はしていたが、その能力構築力や問題解決力はおおむね健在であった。だから、実際にものづくり現場を訪ね、現物を観察し、現実を評価する努力をしていない人が、「経済がだめで、会社も儲かっていないのだから、どうせ日本の現場もだめになったんでしょ」などと安易な発言をすることは許せん、百害あって一利なしだと思った。

この違和感がきっかけとなり、筆者は、学者の分際で、また学者として芸が荒れるのも顧みず、「日本のものづくりは大事だ」と書き続け言い続けてきたわけである。

今考えても、あのころの日本は、あちこちに認識の断層が存在した。例えば前述のように、日経新聞1面を書く経済記者と、日経産業新聞15面を書く産業記者とは、現場認識を共有せず、いわばプッツン状態に近かったのではないかと想像する。かく言う我々大学も経済学部と工学部がプッツン、経済産業省も経済官僚と産業官僚、さらには文官と技官がプッツン、そして企業の中でも本社と現場、あるいは技術系と事務系がプッツン、といった具合に、日本のあちこちが脱臼症状を起こしていた。だから、各々の部門はちゃんと努力をしていたのに、全体としては過剰反応、右往左往、その結果支離滅裂となる傾向が、日本全国で見られたわけである。

昨今の「ものづくりブーム」は、こうしたギャップが埋まりつつある、という意味でよい方向だと思う。だからこそ、現在のものづくり重視の風潮は、一過性のブームであってはならない。むしろ、企業や一般市民の産業観が、これをきっかけに不可逆的に変わる必要がある。マクロとミクロ、本社と現場、表の競争力と裏の競争力、これらは、必ずしも連動しないのである。だからこそ、経済の大局を見る人間と、現場の細部を見る人間は、つとめて意思疎通を図らねばならない。