いまや3人に1人ががんにかかる時代だ。いざ自分が、家族ががんになったら──。3組の夫婦から生きることの喜びを学ぶ。
夫の強さんが3回目の抗がん剤治療を決意したとき、「苦しみは本人にしかわかりません。その本人が『やろう』というのですから納得しました」と振り返る妻の加代子さん。
夫の強さんが3回目の抗がん剤治療を決意したとき、「苦しみは本人にしかわかりません。その本人が『やろう』というのですから納得しました」と振り返る妻の加代子さん。

いのちのクルマのことを樋口さんは「バックギアの付いていない車」ともいう。いったん走り始めると、二度と後戻りができなくなるからだ。

「がんの正しい情報がほしいと多くの人がいいます。しかし、本当に正しい情報など存在するんでしょうか。セカンドオピニオンは確かにあったほうがいい。でも、それがすべてではない。人は情報が多いほど迷います。情報をほしがるのは、『あのとき先生がもっといってくれれば、判断を間違わなかったのに……』というエクスキューズを用意しておこうと潜在意識が働いているからではないでしょうか」

そんな情報の渦に巻き込まれて、いのちのクルマを迷走させてしまったのが、群馬県内に住む坂田俊明さん、雅子さん(仮名)の夫妻だ。兄と一緒に建設会社を興した俊明さんは、98年5月末の早朝、みぞおちに差し込む激痛で目を覚まし、地元の総合病院で内視鏡検査を受けた。結果は食道がん。53歳の働き盛りで、会社の専務としての重責も担っていた。

病院はすぐに入院の手続きをとってくれた。食道の悪い部分を切除し、胃を持ち上げて縫合する11時間にも及ぶ大手術。しかし、食道がんの手術を行った実績は少ないという。「この病院で手術を受けていいのか……」。大きな不安が坂田さん夫妻を襲った。急遽その日の晩に親族会議が開かれた。

「東京女子医大がいいんじゃないか」

「いや何カ月も待たされると聞くぞ」

最善の方法を考えようと頭を捻る親族に対して心のなかで手を合わせていた雅子さんだが、実はそのとき「東京の国立がんセンターが一番ではないか」と考えていた。そのことを口に出すと、予想外の意見が返ってきた。

「がんセンターに入院したものが親族にいるなんてわかったら、隣近所から何をいわれるかわかったもんじゃない。がんセンターだけは行ってくれるな」