「泣くんじゃない!」
大声で怒鳴ったオヤジは誰よりも泣いていたはず

もうひとつ俺がたまらなかったのは、街を出て行った主人公が、何年も経って故郷に戻ってくるシーンだね。ガキの頃から一緒に映画を観ていた大人たちが、みんな老けても、その土地から離れられないでいるんだ。泣ける。

何を訴えているのかというと、成功を目指して故郷から出ていくということは、必ずしも故郷を捨てるわけではない。むしろ理想に向かって進むとき、何か大切なものをひとつは捨てなければならないことがあるんだということ。それが故郷だったんだけど、故郷に戻ってみれば、古いものが全部残っている……。そこに懐かしいという言葉だけでは収まらない、人生の残酷なまでの仕業や人間の悲観を写し出す。『ニュー・シネマ・パラダイス』には、後に完全版ができたけど、完全版には初恋の女性の晩年を『禁じられた遊び』でポーレット役を演じたブリジット・フォッセーが登場するので、こちらをお薦めします。

近頃、カメラに向かって観客が、「この映画、泣けました!」って訴えるCMが多いと思わないか?

みんな泣いてるから、私も泣かないといけない、そんな集団ヒステリーのような「ファストフード涙」の安価な雰囲気を感じてしまう。『野菊の如き君なりき』といえば、映画館で観た当時のことをしみじみ思い出すねえ。

まだ自由恋愛が発達してなかった時代に、恋心が芽生えた幼馴染みの仲を周囲が引き裂こうとする話で、有名な民子のセリフが「政夫さんは、りんどうの花のようだ。私はりんどうの花が大好きさ」。これは好きだと言えない女の子の、間接的な愛の告白なんです。こういう表現は日本映画にしかないよね。

この作品を中学生の頃、映画館で観ていたら、2人が結ばれないもんだから隅のほうに座っていた若い子が泣いててさ。すると劇場にいた全然関係ない後ろのおじさんが突然、「泣くんじゃない!」って大声で怒鳴ったんだ。上映中ですよ。あれは驚いたからよく覚えてる。

今考えると、あのおじさんは誰よりも泣いていたと思うんだ。だけど若者に対しては、「俺たちの世代も映画のように理不尽な目に遭ってきたんだ。こんな風習をおまえらが打ち破らなくてどうするんだ」という気持ちがあったんじゃないかな。次の時代をつくるには泣いてるヒマなんてない、駆け落ちしてでも恋を成就すべきだ、という思いを込めた怒鳴り声だった気がする。そんな強烈な経験をしてるから、今の世相に見られるような、「映画は安泣きすればよし、はNGだ」。

けど、ひとり映画を観て、「感動した」「ホロリときた」と素直に動いたなら、それはそれでいいかも。安泣きでもサ。働いてばかりで疲れているお父さんも、景気が悪くて閉塞感に陥っている人も、ひとときだけ現実を忘れて非現実の世界に浸ってみるのもいいんじゃないかな。

たとえば『素晴らしき哉、人生!』。

観れば元気が出てくるし、人生というものはこんなにもいいものだと思える。幸せな結婚をしてマジメに生きている主人公の会社が、クリスマスの日、最大のピンチに陥るんだ。そこで自殺を考えたとき、天使が現れて、「あなたがいないとこんなに不幸だ」という架空の世界を見せてくれる。

今はなき、アメリカのいい話で、こういう作品は、ただ観るだけで何もコメントがいらないよね。窮地に立った会社の経営者が救われる話だから、同じ立場の人が観たら奮起するかもしれない。

自分の人生をどう肯定するか、それは各自が考えて決めればいい。たかが映画の中に問いや答えがあるのではなくて、観た人が自分で探す。で、心動かされる。“泣ける映画”は素晴らしいんだよね。涙する、泣くって、ヒトだけの幸せ。神様は決して泣かないそうな……。

(構成=鈴木 工 撮影=若杉憲司)