人には「知らないうちに知ってしまう」ことで、確信が閃くことがあるという。筆者はこの「暗黙の知」について、メカニズムと重要性を説き明かす――。

人混みの中でもなぜ自分の知人を見つけられるのか

マイケル・ポランニーは『暗黙知の次元』の議論の中で、1つの機制(メカニズム)を強調する。それは、対象に棲み込むという機制である。人が暗黙の知の次元を発揮するために、対象に棲み込むことが必要だと指摘する。私は、暗黙の知の次元こそが、以前本欄で紹介した「ビジネスインサイト」にほかならないと考えているのだが、今回は、その機制についての議論を少し紹介しながらその重要さを明らかにしよう。

私たちは、人の顔を記憶している。人混みの中でも、自分の知り合いを見つけることができる。よく似た写真を並べられても、自分の知っている人ならすぐにわかる。だが、家族でも友人でも、あるいは有名人でもよいのだが、その人のモンタージュ写真を作れるだろうか。ポランニーが着目したのは、「目、鼻、口といった各部分の特徴については、言葉に出したり写真から選んだりできなくても、その諸特徴が全体として構成する顔は知っている」という知の機制である。

この機制は、単に顔の特徴が言葉に出せないという私たちの日常における挿話にはとどまるものではないと、彼は考えた。そして、彼は、「近位項」と「遠隔項」という概念を考えつく。顔の例で言うと、近位項は目や鼻や口といった各部分を指し、遠隔項は顔全体を指す。

人は、顔を認識するとき、各部分の特徴を経て全体をそれとして認識する。顔の各部分を無視して全体としての顔を認識できるわけはない。だが、ひとたび顔全体をそれとして認識したとき(その人と別の人の顔を見分けることができるようになったとき)、近位項である各部分の特徴についての認識は危うくなる。どのようにして、顔を認識するに至ったのかというプロセスは、彼の頭の中から消えてしまう。その人の写真を見ればその人とわかるのに、その人の顔の特徴を述べて、その人の顔をモンタージュ写真の中になかなかうまく再現できない。

人には、隠れた知る力が潜んでいる。言い換えると、「それとは意識しないままに知ってしまう」という機制がある。これがポランニーの主張だ。プランクが量子論を、アインシュタインが相対性理論を確信したのは、その確信を担保する証拠が山のようにあったわけではない。また、以前この欄で紹介したヤマト運輸の小倉昌男社長(当時)が宅配便のモデルに思い至ったプロセスもそうだ。どうして、彼らにだけ天啓に似た確信が閃いたのか。その機制はよくわからない。わかるのは、彼らは確かに人類にとって価値ある何かを強く確信したこと、そこにはそれを導く隠れた力が潜んでいるらしいということだ。