「縮む10年」を経てついに動いた

08年9月15日に起こったリーマンショックを境に世界の金融は断絶した。“9・15”以前、レバレッジを利かせる投資銀行モデルは世界を席巻し、世界の富を収奪し尽くす彼らの前では、日本の金融機関は借りてきた猫のようだった。だが“9・15”以後、世界は一変した。わが世の春を謳歌した外資系金融機関は資金繰りに逼迫して、投資銀行の看板を下ろしていった。そして米ウォール街、英シティでは猛烈な首切りで人が溢れた。

歴史の潮目が変わったその瞬間、投資銀行の財産である人材を根こそぎ買っていったのが渡部率いる野村だった。「縮む10年」を経て、ついに野村が動いた。そして殻を破るかのように外へ打って出た。しかし、裏腹に株価は急落。約1年で75%以上の下落となった。さらに3000億円の公募増資を発表し、株式価値は40%近く薄められた。投資家の多くがこの大型公募増資を「リーマン買収のつけがきた。人件費の穴埋めに使うだけだ」と冷ややかに見ているのだ。

「旧来の投資銀行モデルとも違う、営業一辺倒とも違う、新しいビジネスモデルをつくる」と渡部はいうが、その具体的な姿は、まだ見えてこない。野村の行く先には分厚い霧が立ち込めている。

はからずもリーマン買収のお披露目となった日に野村が抱える矛盾、誰も責任を取らなくなった組織の矛盾が露呈した。

08年9月26日、東京・港区にあるホテル「グランドプリンスホテル新高輪」にある「飛天」の間では野村グループ全体の部店長会議が開催された。そしてこの会議のために世界中から600人近い幹部たちが集まった。毎年開催される会議だが、その年は雰囲気が違った。ただならない高揚感が会場に漂っていた。

「野村がアジア部門買収 リーマンと合意」。日本経済新聞朝刊の一面に活字が躍ったのはわずか3日前。翌日、「野村、欧州・中東も買収」の報が続き、野村ホールディングスの名が連日、一面に躍った。時を同じくして三菱UFJフィナンシャル・グループによる米モルガン・スタンレーへの約9000億円の出資も伝えられていた。米ウォール街の消沈とは対照的に、メディアは日本の金融機関の攻勢を大々的に取り上げていたのだ。

世界の金融を席巻してきた投資銀行の一角であるリーマンを傘下に収めたばかりの時期に、野村グループに身を置く者たちが意気軒昂なのは、無理からぬことだろう。外資系金融機関を買収したという一点の事実だけで、日本の時代が再来するとの声も聞こえてきていた。

渡部賢一を筆頭にリーマン買収の立役者とされる副社長の柴田拓美など、ひな壇に並ぶ幹部の表情も誇らしげだった。世界各国から集まった幹部らを前に挨拶に立った渡部はリーマンショック以後、激変する世界金融のビジネスモデルに触れながら、「海外の大手証券会社と(野村証券を)比較して、周回遅れとの認識はあったが、今後は欧米とは違うモデルで成長しよう」と“新生”野村の進むべき方向を宣言した。