環境や経験による「チューニング」がもたらす罠

多くの人は、自分が環境や経験に強く影響されているといわれてもなかなか納得できない。が、自分が人間関係に深く影響を受け、特定の行動の仕方をするよう「チューニング」されているという現実を認めることは大切だ。そうすれば、それらの要因に反射的に反応するのではなく、余裕を持って賢明かつ理性的に行動することができる。

「チューニング」は、リーダーシップを実践する際、リスクとチャンスの両方をもたらすことがある。これを理解しておけば、大きな武器となる。

たとえば、意見が対立してどうしようもなくなったとする。その場の温度を下げる措置をとる必要があるかもしれないが、自分に対立を楽しむ性向があるとしたら、みなが爆発寸前になっていることに気づきさえしないかもしれない。が、そこにいる他の人にとっては、それは耐えがたいことなので出ていこうとするだろう。もし、自分が「対立」という状況に対してどうチューニングされているかを認識していれば、おそらくサインを見逃さず、休憩を取るなど、冷却に必要な措置をとるだろう。

逆に、対立に強い嫌悪感を持つようにチューニングされているとする。この傾向は、アルコール依存症によって破壊された家庭や厳格な両親のもとで育った人に多いかもしれない。この場合、議論が生産的な論争につながる温度に達し始めた時点で、動転して反射的に温度を下げようとするかもしれない。その場合、議論による学習プロセスを止めてしまうことになるだろう。

チューニングには自分を脆弱にする、2つの側面がある。まず、チューニングに対する敏感さが自己の行動を予測しやすくするため、変革の成功を望んでいない人々に簡単に操られてしまう。そして、もう一つは、強みに伴うマイナス面である。

たとえば、独力で仕事をやり遂げたとき感じる満足感と自負心に強くチューニングされていたとする。このような形で「責任」を引き受けることは確かに長所だが、変革を指揮しているときは、一人で背負い込まず、一緒に責任を引き受けてくれる人に任せることが必要だ。

仕事を引き受けたくない人は、あなたの責任感を讃えることで、自分に好都合なようにあなたを動かそうとするかもしれない。

また、他の人があなたのチューニングに気づいているとき、彼らはあなたを煽って彼らの利益を支持させたり、あなた自身の利益から脱線させたりするための力を持つことになる。要するに、操られやすくなるのだ。

こういった状況が自分に及ぼす力を明確にするため、感情を爆発させる「引き金」について考察してみよう。

引き金を引かれるのは誰にもよくある経験だ。要するに、誰かが「神経にさわる言動をした」ことである。そんなとき、アドレナリンで煽られる防衛メカニズムが作動するのだ。「知的で戦略的で冷静で上品な」自分が、未熟で防衛的な自分に一時的に覆い隠されてしまう。さらに、そんな自己の言動がおそらく周囲の爆発の引き金になるだろう。不協和音が生じ、生産性が落ちる。自分の権限が大きければ大きいほど、害は大きくなる。

爆発しそうになっていることに気づくことは、不毛な爆発を制御する第一歩である。