「心の闇を、愛でよ」──衝撃のキャッチコピーで刊行された脳科学者・中野信子氏の“初の自伝”『ペルソナ』(講談社現代新書)が話題だ。「埋没することを運命づけられた」「透明な存在」である団塊ジュニア、そして、初めからハンディキャップを負わされた女性として、いかに時代にあらがい、歩んできたのか、赤裸々に語った同書の一部を特別公開する。(第1回/全2回)

※本稿は、中野信子『ペルソナ』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

やっぱり女は違う扱いをされるのだな

あたかも「名誉男性」であるかのように、自分の努力と才能とを男性原理社会の中であっても認めてもらえるよう、命を削るようにして必死で頑張る女性がたくさんいる。が、やっぱり女は違う扱いをされるのだなと、これまで、痛いほど思い知らされてきた。

たとえば鉄門(東京大学医学部医学科)には、女性の教授が当時からいなかった。いわば男性たちの“聖域”のようなものだ。

大学院でも、優秀な女性研究者がどれだけ論文を書いても、必ず下に見られるか、無意識に無視される。『ピーターラビット』を著したビアトリクス・ポターは、地衣類が菌類と藻類の共生であることをつきとめて、リンネ学会で発表したが、黙殺された。優れた業績であり、彼女が男であったなら認められたはずの論文だったが……。100年後、リンネ学会は性差別があったと公式に謝罪した。

セクハラのイメージ
写真=iStock.com/wildpixel
※写真はイメージです

セクハラなんて腐るほどあった

21世紀の現在ですら、あの人は女を捨てているよねとか、あの教授とどこそこで夜一緒にいるところを見たとか、高い下駄履かされやがってとか言われるのを見て、心底うんざりした。

中野信子『ペルソナ』(講談社現代新書)
中野信子『ペルソナ』(講談社現代新書)

実力があっても、成果を上げてもじゃあ子どもは産んだのか、だったり、旦那さんはどんな人? なんていうことを聞かれる。男性研究者がそんなことを言われるだろうか?

セクハラなんて腐るほどあった。例えば先生から抱きつかれて、「やめてくださいよ」と邪険にすると、評価が下がって奨学金を受けるのに不利になるなんていうことはもうありふれ過ぎていて告発すらされなかった。

抱きつかれた時の賢い対処法は、「先生も疲れているんですね」などといってやんわりと腕をほどいてなだめる、というような方向になる。

女性に向ける目が、教授たちからして昭和なのだ。最先端のアカデミズムの中にいるはずの人たちが。