2008年10月28日(火)

サントリーのシェア逆転にみる「株式上場の長短」

PRESIDENT 2008年11月3日号

著者
加護野 忠男 かごの・ただお
甲南大学特別客員教授

加護野 忠男

甲南大学特別客員教授

1947年、大阪府生まれ。70年、神戸大学経営学部卒業。75年、同大学大学院博士課程修了。79年から80年までハーバード・ビジネス・スクール留学。2011年3月まで神戸大学大学院経営学研究科教授。11年4月から現職。専攻は、経営戦略論、経営組織論。著書に、『日本型経営の復権』『「競争優位」のシステム』などがある。

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神戸大学大学院経営学研究科教授 加護野忠男=文
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50年以上取り組んだ健全な赤字事業とは

今年の上半期のビール出荷量の集計値が発表された。長らく最下位だったサントリービールがサッポロビールを抜いて第3位に浮上した。サントリーが1.8%上昇の13.0%となり、12.1%と1.1%下がったサッポロを抜いて3位に浮上したのである。サントリーがビールに進出したのは約50年前。アサヒビールのスーパードライが出るまでは、ビールメーカーは、一強二弱一問題外と言われた。この問題外がサントリーであった。最初のころは他のビールメーカーから競争相手と認めてもらえなかったほどの存在であった。スーパードライが出てからも二強二弱のうちの一弱と位置づけられていた。このサントリーがとうとう第3位に浮上したのである。ビッグニュースである。

市場での勝敗を、少数の要因で説明するのは難しい。しかし、今回の逆転劇の背後には、1つの重要な要因がある。それは、会社が上場されているか否かという、コーポレートガバナンスにかかわる要因である。

サントリーは、歴史の古い会社であるが、非上場を貫いてきた。同社がビールに最初に進出したのは、1930年。オラガビールというブランドであった。ワイン会社の寿屋がウイスキーに進出した翌年のことである。創業者、鳥居信治郎氏による果敢な挑戦であったが、このときは空しく敗退している。再度の参入は、1963年。信治郎氏の息子の佐治敬三氏が社長の時代である。このビール事業を佐治氏は、健全な赤字事業と呼んでいた。当時のサントリーは、オールドという超ヒット商品を持っていた。放っておいても売れるという商品であった。このような商品だけに依存していると、会社から緊張感が失われてしまうというのが、ビールへの進出の狙いだった。難しい事業に挑戦することによって企業の緊張感を高めようという狙いである。この健全な赤字事業に、50年以上も取り組み続けることができたのは、同社が非上場企業だったからである。前社長の鳥居信一郎氏も、祖父が挑戦し、叔父が再挑戦した事業への挑戦を続けた。サラリーマン社長のように、短期の成果を出す必要はなかったのである。この持続的な辛抱と努力が、現社長の佐治信忠氏の時代にようやく開花したのである。

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