3歳から両親に虐待を受けていた58歳の独身男性。大卒後に就職して一人暮らしを始めたが、父親が2010年に亡くなると、母親の認知症が急速に進み、男性は介護を余儀なくされる。「毒母の介護をすることは、自らのトラウマと戦うこと」という壮絶な半生の教訓とは——。

この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、未婚者や、配偶者と離婚や死別した人、また兄弟姉妹がいても介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

毒親の「機能不全家庭」に生まれた58歳独身男性の壮絶な半生

現在、東京都杉並区在住の高橋琢郎さん(仮名、58歳独身)は、神奈川県横浜市出身。父親(10年前に81歳で他界)は会社員、母親(現在86歳)は専業主婦のごく一般的な家庭で生まれ育ったが、高橋さんが3~4歳の頃にはすでに両親から虐待を受けていた。

父親は短気で気性が荒く、幼い高橋さんに対し、「お前を見てるとイライラするんだ!」と特に理由もなく罵倒、恫喝、物を投げつける。母親も、結婚当初から父親による暴力や暴言を受けていたため、ストレスや不満がたまると、その矛先は息子である高橋さんに向かう。他の子と比較して高橋さんの自尊心をそぐような暴言や、父親に対する不満や愚痴を長時間浴びせ続けた。

「母は常に『金がない金がない』と言っていました。父に怒られるのが怖くて、お金を自由に使えなかったようです。私が小学校へ入学したとき、図工で使うため、色鉛筆を買うように学校から言われましたが、母は買ってくれず、代わりに自分が裁縫で使っていた、青色の反対側が赤色になっているチャコペンを1本持たせたのです。担任の先生が連絡帳に、『色鉛筆を買ってあげてください』と書いてくれて、嫌々ながらもようやく買ってもらえました」

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父親は「もったいない」と言って、家族で旅行や外食をしたがらない。両親とも子どもにお金を使うことを渋り、高橋さんが熱を出して「薬を買ってきてほしい」と頼んでも、「安売りしてなかったから買えなかった」と平然と言われた。

その一方で、同級生の親に「ウチの子はこんなに頑張ってるのよ」という“わが子自慢”をされると、両親は我慢ならない。「○○くんは風呂に教科書を持って入ってるんですって!」「○○くんは頑張ってるのにお前はダメなやつだ!」と競争心をむき出しにして勉強を強要。母親は大量に問題集を買ってきては、高橋さんに無理やりやらせた。

「母が買ってくる問題集は極端に簡単すぎたり難しすぎたりして、私に合っていないものばかり。それなのに文句を言ったりやらないでいたりすると怒り狂うので、母の問題集をやってから宿題や自分で買った問題集をやらなくてはならず、時間もお金も無駄。いつも怒りがこみ上げてくるのを我慢していました」

言い返したり反抗的な態度をとったりすると、「そんなに勉強がしたくないのか!」と激昂し、もっと酷く面倒なことになることがわかっているため、いつしか高橋さんは、内心ものすごく憤慨していても、表に出さないようにする癖がついていた。

ステレオのコードで首を吊ろうとしたが、死ねなかった

中学に入学する頃、父親が家を建てた。父親は、ちょっとでも家を汚したり傷をつけたりするとすぐに怒鳴るため、ますます家庭内がピリつく。高橋さんはイライラや破壊衝動が抑えられなくなり、衝動的にステレオのコードで首を吊ろうとしたが、コードが伸びただけで死ねなかった。

高校受験では、学区内で偏差値が2番目に高い高校に合格したが、母親は1番でないことが気に入らず怒り心頭。高校入学前の春休みは、塾の春期講習に通わされたうえ、家では家庭教師をつけられ、遊びに行くこともテレビを見ることも禁じられてしまう。

毎日のように「落ちるところまで落ちたな!」と母親から罵倒され、愚痴や不満を繰り返し聞かされ続けた結果、食欲は落ち、食べてもすぐにお腹を下すようになる。高校入学時の高橋さんの身長は約170cm、体重は40kgしかなかった。