「科学的理解」と「物語的理解」の違いとは

文科系と理科系。私たちは中学か高校か、若い頃に2つの方向のどちらかの道を選んだ。選んだといっても、「数学が嫌いだ」とか「古典が不得意だ」とかという些末な理由で選んだ方も少なくないと思う。しかし、今になって思うのだが、この分かれ道は私たちにとって、物事を考える発想の根本を決める分かれ道でもあったのかもしれない。

理科系の発想は、「現実の拠ってくるところの原因」を追究し明らかにしようとする発想だ。自然科学の世界にぴったり合うが、それが社会現実の把握や統制にも用いられる。ここではそれを「科学的理解の立場」と呼ぼう。

もう一つは、文科系の発想だ。それは、科学的理解を解きほぐして、当事者の理解に差し戻すことで見えてくるところの、「ほかにも、何か可能性がありえたかもしれない」という想像力が働くような現実理解の立場である。そうした「不可能でなく必然でない様相」は、哲学の世界では「偶有性」と呼ばれる。科学的理解に対比させて「物語的理解」と呼ぼう。

ここでは、科学的理解と物語的理解、この2つの発想を検討したい。1975年前後のある食品メーカーの流通革新のケースを導きの糸として、2つの立場の違いを浮き彫りにする。

スナック食品メーカーのカルビーは、優れた営業流通体制を構築していることで有名だ。何人かの論者が高い評価を与えている。嶋口充輝ほか編著『マーケティング優良企業の条件』(日本経済新聞出版社、2008年)や拙書『営業が変わる』(岩波アクティブ新書、04年)では、先進的な営業体制の特徴やそれが誕生した経緯について詳しく検討している。

売れた分だけ生産する実需対応の営業・生産体制、店頭起点の経営、店頭品質を中核とするプロセス・マネジメント、営業におけるマトリクス組織、営業情報基地設立……といった新機軸が、同社の体制の中で生み出されてきた。そうした革新の成果については、先の2冊の本で明らかにされているので、ここではその内実にまで遡っては検討しない。議論したい点は、そうした革新誕生の契機を、どう理解するかである。

同社が、営業革新に取り組み始めたのは、75年前後。その当時、「かっぱえびせん」で一躍全国メーカーとなった同社は、満を持してスナックの王様「ポテトチップス」の発売に踏み切った。ところが、そのポテトチップス、売れ行きは当初芳しくなかった。その原因を調べていくうちに、「消費者にポテトチップスの鮮度、品質に対する不信感があるのではないか」と考えるに至った。