「What' If~?」は企業のマネジメントにとっても重要だ。最悪の事態を想定して、事が起きる前に直す。企業の場合、事が起こってしまえば売却先さえも見つからずに全員が路頭に迷うことになる。事が起きる前に社員に危機感を持たせる。最悪と言われる選択肢でも敢えて取る。それがいい経営者であり、リーダーの役割である。

JAL(日本航空)が破綻する前にやることはたくさんあった。社員数も給料も年金も3分の1にし、路線を4割カットしたのは破綻後。今になって「前泊」をやめる、とかパイロットがタクシーで空港に向かう制度をやめた、と言っている。競争力なき組織構造に決定的な問題があるのに、今さら全体をカンナで削ったところで、立ち直る可能性は極めて薄い。JALはもう一度潰れることになるだろう。それがわかっていながら、失敗が誰の目にも明らかになるまで引っ張る。国交省も会長として乗り込んだ稲盛和夫さんも経営陣も国民もズルズルいってしまう。

世界の航空業界は一変している。血税を投入する前に、トップクラスのエキスパートを呼んできて診断させ、再生可能か、可能とすればどこをどう直すべきか、調べてもらってからにすべきだ。天下の稲盛さんといえども航空業界は初めてだし、世界標準を社員からの「ご進講」で学んでいても判断を誤るだけだろう。

「What' If~?」の欠如は個人にもいえる。たとえば「国債」の問題。私がデフォルト(債務不履行)の危険性を何度警告しても、「そんなことはないでしょう」と経済学者までもが言う。暴落のリスクを承知しながらズルズルと乱発、消化し続けている。そして暴落した後、皆できっと言うのだ。

「ほら、言ったじゃないか」と。

なぜ日本人は「What' If~?」の思考法が不得手なのか。理由は2つ考えられる。1つは、1000年以上にわたり中国や欧米から文明を受け入れてきたため、自分でゼロから考えなくても、どこかに存在しているはずの答えを見つけてくればいいことに慣れきってしまったこと。日本人にとって答えは考えるものでなく、探すものなのだ。

もう一つは、日本特有の言霊(ことだま)信仰。悪いことはなるべく考えない。言ったら本当にそうなってしまいそうだから口にしない。言霊に対する畏れが日本人のDNAに組み込まれていて、最悪の場合を考えることを避けて通るクセがついてしまったのではないか。

それを助長させたのが日本の教育だ。「What' If~?」の思考法どころか、親にも先生にも上司にも楯突かない、質問もしないような従順な人材を画一的に大量生産してきたから、考えればわかる理屈すら考えようとしない日本人ばかりになってしまった。それがひたすら大衆迎合の日本の政治や、恥ずかしいほどの外交の弱さにつながっているように思える。小渕恵三内閣の官房長官を務めた野中広務・元自民党幹事長の暴露で明らかになったように、マスコミが広く官房機密費で汚染されており、政府にとって都合の悪いことは伝えなくなっている。真実を伝えないマスコミにいいように操作されて怒りを持たなくなった漂流する大衆、というのが今の日本の姿なのだ。