つぶれかけた地方スーパー再生のために送り込まれた男。

ウオエイの社長、岩本勝幸につけるとすれば、さしずめこんなキャッチコピーだろうか。伊丹十三監督の映画『スーパーの女』を地でいく男性版スーパー再生物語が、新潟のローカルスーパーマーケットで繰り広げられている。

<strong>岩本勝幸●いわもと・かつゆき/ウオエイ社長</strong><br>1961年、長崎県生まれ。83年、東京学芸大学教育学部卒業後、西武百貨店に入社。筑波店、商品部、営業企画室などで勤務。95年、アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)入社。2000年、フューチャーシステムコンサルティング(現フューチャーアーキテクト)入社。07年、経営不振に苦しんでいた魚栄商店の再生を命をうけて同社社長に就任。08年、フューチャーアーキテクト、シニアディレクターに就任。
岩本勝幸●いわもと・かつゆき/ウオエイ社長
1961年、長崎県生まれ。83年、東京学芸大学教育学部卒業後、西武百貨店に入社。筑波店、商品部、営業企画室などで勤務。95年、アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)入社。2000年、フューチャーシステムコンサルティング(現フューチャーアーキテクト)入社。07年、経営不振に苦しんでいた魚栄商店の再生を命をうけて同社社長に就任。08年、フューチャーアーキテクト、シニアディレクターに就任。

ウオエイの正式社名は魚栄商店。社名からうかがえるように、魚の行商からスタートしたスーパーマーケットで、新潟県下越地区に8つの店を構えている。本部は新潟市南区にあるが、「区」といってもほんの名ばかり。南区は、新潟市が政令指定都市になるため行政地区を無理矢理拡大した産物で、区のほぼ全域は旧白根市にあたる。新潟市の8つの区の中では唯一在来線が1本もなく、交通の便は極めて悪い。頼れるのは車のみだ。

ウオエイは70年代から80年代にかけて店舗を増やし、アメリカ・カリフォルニア州に専用の牧場まで購入するほど上り調子だったが、バブル崩壊後の景気低迷と足並みを揃えるかのように売り上げを落としていく。新潟圏内には競合店も多く、大型のショッピングセンターにも客を奪われ、90年代は閉店に次ぐ閉店。それでも赤字は解消せず、現場のモラルは落ちるばかり。パートの女性従業員からも「ここでは買いたくない」と烙印(らくいん)を押され、経営は危機的状況にあった。

そこにフューチャーアーキテクトが目をつけた。旧社名はフューチャーシステムコンサルティング。セブン‐イレブンの店舗システムを開発し、IT業界で名を馳せた、あの会社である。2006年12月、ウオエイはフューチャーアーキテクトの子会社により全株式を取得され、連結子会社となった。