後押ししたのは自身の強い思いだ。ロシアを離れていた間、日比は異例の人事で本社ビデオ事業部の設計部隊の部長に就いた。初めてのものづくりの現場。ソニーならではの価値を生み出すため、技術陣が心血を注ぐ姿を目に焼きつけた。

次いでテレビ事業本部へ。引き抜いたのは筒井だった。欧州から戻り、テレビ事業に携わった筒井は薄型テレビの不振ぶりに目を覆った。新ブランド開発を上部に提案。一緒に立ち上げを担う同志として呼んだのだ。05年秋のブラビア発売を見届け、日比はロシアに赴任した。

現地ではサムスンが依然シェアトップを走っていた。そこにわが子のようなブラビアを投入する。技術陣の思いが詰まった新製品だ。ロシア人社員たちもソニーを強くしようと戦っている。すべての思いを背負い、日比は販売会社設立を断行する。一緒に議論を重ねたロシア人社員たちには思いをこう伝えた。

「リスクは高い。でも、君たちがロシアを信じるように僕もロシアを信じよう」

  いざ、現場へ。日比流の“踏み込みビジネス”が始まる。直接、市場に入り込んでいくにはロシアをもっと知らなければならない。「お宅訪問」と題し、各階層の家庭を一軒一軒訪ね、暮らしぶりを見せてもらった。この取り組みからロシア発の商品も生まれた。

ソニーならではの価値を顧客に伝えるには店頭で体感してもらうのが一番だ。そこで始めたのが「Xデイ・プロジェクト」だ。年2回の商戦期、全社員が量販店の店頭に出向き、画質や音質のよさを体験できる展示セットを従業員と一緒に組み上げ、販売支援を行う。人事も経理も、総員500人と最悪時の5倍に増えた社員が34都市、350店舗へソニー代表として出かけるのだ。この取り組みは売り上げ増と同時に、一人ひとりにソニーマンの誇りを植えつけていった。

  そして、もう1つ力を入れたのが布教だ。「ソニーアカデミー」のセミナー部隊が1年365日、国中の店舗を回り、従業員に製品について講義を行い、ファンを増やす。学長は失意の底にあった日比を支えてくれた戦友が務めている。いずれも他社にない取り組みばかりだ。

これらの挑戦をGMDに異動した筒井が財務や人材面でバックアップする。特にソニーCISは今や人材を鍛える道場的存在となっている。筒井が送り込む若き精鋭たちを日比が育て上げるのだ。