鴻池家が発展できなかった理由

このような日本のオープンさを表現するため、日本の家族はやまと言葉で「イエ」と呼ばれることがある。日本の家族(イエ)型企業でさらに注目に値するのは、番頭の存在である。番頭はたんなるナンバー2ではなく、共同経営者とも呼ぶべき存在である。番頭は、内部昇進で実力を認められた人物である。この人が血縁の制約の中で選ばれた主人と共同で経営をするという方式である。

このような実力のある人物を重用することができたため、日本の家族企業は長生きできたという説がある。経営史の泰斗、宮本又郎教授(関西学院大学大学院教授・大阪大学名誉教授)の説である。大阪の豪商の中で住友家が明治以降も発展したのに対し、鴻池家が発展できなかったのは、激動の明治期に番頭に人物を得ることができたかどうかの違いであるという逸話を同教授から教えてもらったことがある。神戸の鈴木商店は、一時期は、三井・三菱を凌駕するほどの商社になったが、その原動力となったのは、番頭の金子直吉の指導力であった。

かつての商家では、番頭は家族の一員として取り扱われていた。しかもその中の重要な存在として発言力も強かった。鈴木商店の女主人を描いた『お家さん』(玉岡かおる著)を読めば、鈴木家における番頭の存在の大きさを知ることができる。丁稚時代から育てられてきた番頭は血縁関係はないが、養子に近く、家族の一員だと言ってもよいほどだ。

家族とビジネスとの関係の強さについて、世界の経営学者が注目し始めたということを、2、3年前の時論で書いたことがある。欧米では、家族とのつながりの強い企業をファミリービジネスと呼ぶ。このファミリービジネスについての研究が熱心に行われるようになってきたのである。ヨーロッパでも南のフランスやイタリアで家族企業が多い。これらヨーロッパの家族企業と日本の同族企業との違いは、外に向けた開放性である。

かつてフランシス・フクヤマは、家族や国家という第一次的集団だけではなく、企業という第二次集団をつくることができる社会は豊かになると言った(『「信」無くば立たず』)。米国、ドイツ、日本などの社会は第二次集団をつくりだせる社会で、中国、韓国、フランス、イタリアなどは、第二次集団をつくりだすことができない社会だと彼は言っている。彼は、第二次集団をつくるための条件は、信頼という社会的資本があることだとも言う。信頼は豊かな社会をつくるための必須の社会資本だということになる。

日本の伝統的な商家を考えると、第二次集団は家族と独立してつくられたというよりは、家族が外に対してオープンになることによってつくられたと考えたほうがよいのかもしれない。

かつて日本の会社の原型はイエか村かという論争が行われたことがある。日本の「イエ」は中国や朝鮮の家族とはずいぶん違う。血縁関係のない人々をもメンバーとして受け入れることができる。このようなオープンさがどのような条件のもとでもたらされたかを考える必要がある。

日本の現代家族は、より閉鎖的だという印象を受ける。付き合いの幅は広いが、外部の人々を家族の一員として受け入れることは少ない。地域の企業が続かなくなった原因の一つは、核家族化によって家族のオープンさが失われたことにあるのではないか、と私は見ている。ファミリービジネスの研究がブームとなっているが、ファミリービジネスのあり方は、文化圏によって異なると考えたほうがよい。そう考えたほうがより有効な処方箋が導ける。家族のあり方は、文化圏によってずいぶん違うからである。