年収1000万円以上のビジネスエリートに「好きな著者」を聞いたところ、カーネギーやドラッカーを凌いで、なんと司馬遼太郎が堂々の1位に輝いた。彼らはなぜ経営書ではなく司馬遼太郎作品を読むのだろうか。

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なんといっても司馬文学の神髄は、歴史上の人物たちが、あたかも現代の私たちの目の前を駆け抜けるがごとく、生き生きと躍動するその生命力の強さである。「魅力的な個人」。これが二番目のキーワードとなる。

幕末から明治にかけて、それまでの江戸260年を通じて社会の基盤をなしていた幕藩体制が崩れ始める。藩主命令を無視し、各地で脱藩者が続出する。

フリーの身となり新しい時代を切り拓いた代表格は坂本竜馬である。脱藩し、亀山社中を立ち上げ、薩長連合を成し遂げた彼は、現代的な感覚でいえば大企業を自主退社し、自ら起業したベンチャー企業の社長のようなもの。もちろん当時、脱藩は大罪。当人が捕まれば死罪もやむなし、家族も相応な罰を受けるのが常識であったことを考えれば、彼の決意は現代に比べてはるかに大きな覚悟を伴うものだったことはいうまでもない。

組織を離れて越境する人が一番魅力的に輝いた時代が幕末・明治だとすれば、この感覚は現代にも通じるものがある。ひと昔前までの絵に描いたようなエリートコースは、いまやまったく精彩を欠く人生設計となってしまった。これまで個人で輝いているのはスポーツ選手や芸能に携わる人くらいだったが、これからは社会の中枢を担うような企業人、経済人、政治家にこそ、「輝く個人」が必要とされている。ジャンルを超えて自由に動くことのできる越境人が。

脳にはトリセツ(取扱説明書)がない。どのように脳を鍛えたら、人生の正しい道を歩めるのか、解説書がない。ただひとつ確かなことは、脳は本来、「いかにして個人の才覚を発揮し乱世を生き抜くか」に使われるべきであるということだ。

勝海舟、土方歳三、江藤新平、高杉晋作、桂小五郎……。同じ時代に生きてもその個性の発揮方法は千差万別、それぞれ持てる“脳力”を生かして「自分の資質とは何か、自分が歩む道はどこにあるのか」を必死に探り続けた人々である。

自分の個性を探るのは、まるで宝探しのようなもの。自分の頭にある脳という名の宝箱に何が詰まっているのか、実は気づいていない人がほとんどである。

司馬文学において一人ひとり登場人物が輝いているのは、作者が彼らの宝箱を開けてみせてくれているからである。それぞれの個性を決して否定しない、明るく大らかなその姿勢が、司馬作品における「魅力的な個人」を支えている。自分の個性を見つけて伸ばそうともがく人々は、そんな司馬作品に惹かれるのである。

(構成=三浦愛美 撮影=若杉憲司)