低年収=不幸と考えるのはナンセンス

コロナ・ショックの影響を、実感している人も多いと思う。自分自身も含めた周囲の、経済的困窮を目の当たりにすることも増えていくだろう。そこで今回は貧困と、その対策について解説したい。「力こそ正義」という暴力社会は、個人主義が支配する世界だ。「力」のベクトルは組織を分解する方向にしか向かわない。そこで、義理や人情、組織人として生きることを美徳とする「任俠道」が要となっている。

コロナ・ショックの影響
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黒い世界での「力」とは暴力と財力を指す。暴力が嫌いな私は財の道を選んだ。ゆえに元経済ヤクザということになる。そうした社会に長く生きた私は、「幸福」を個人の主観だと捉えている。私にとって、今号のテーマでもある年収300万円を1つの基準として、「幸」「不幸」を区別することはナンセンスだ。

ヤクザ組織には雑事が多くある。「力」を持った組員が自分の仕事を理由に雑事を避けることから、必然、低収入の層が雑事の引き受け役となる。幹部の皆さんが集まれば駐車場で誘導棒を振り、玄関で脱いだ靴を整理する。高齢者も多く、酷暑でも極寒でも青息吐息で多くの雑事をこなす。

だが、この層の人たちが不幸とは言い切れない。雑事の際に貰える「お小遣い」は、この人たちにとって至福だ。「無」が「有」に変わる、こうした歓喜を私は味わったことがない。「持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪われるであろう」とは『新約聖書』の「マタイによる福音書」の有名な一節で、「富は富を生み貧困は貧困を生む」という意味だ。あらかじめ「持たざる者」にとって富が降って湧いてくる「幸福」はあっても、何かを喪失する「不幸」は少ない。