■布施克彦さん profile
年齢:60歳
年収500万円 NPO収入が約60万円。本の印税収入などで約440万円。
貯蓄8000万円弱 退職金(約5000万円)には、ほぼ手をつけず。運用は国債が中心。
住居両親の保有していた神奈川県藤沢市の土地に建てた家に住む。現在は、母、妻、次男との4人暮らし。
月の生活費30万円
10年後のビジョン真作家活動一本に収斂したい。現在、新しい本の取材を続けている。70歳までは現役でいたいので、それまでにベストセラーを出すことがいまの夢。

布施さんは1947年、東京都生まれ。一橋大学商学部卒業後、三菱商事に入社。約15年間、海外勤務を経験する。98年よりセイコー・インスツルに勤務。2002年、退社。現在、NPO法人国際社会貢献センターのコーディネーターとして活躍する一方、執筆活動を続けている。

布施克彦は元商社マンである。風貌が作家の渡辺淳一に似ているが、実は彼自身も作家なのだ。55歳でサラリーマン生活を引退し、現在60歳。出した本は12冊にも上る。

一方、並行して、NPO活動にも携わっている。元商社マンの海外経験や知識を種々の社会貢献活動に役立てようという趣旨で、商社の業界団体が資金を出してつくられた国際社会貢献センターという組織である。商社のOBということで先方から誘いがきて「面白そうだ」と入会。神戸大学で、インド駐在時代の自分の仕事経験を学生相手に話すと意外に好評だった。現在は自らもいくつかの大学での講義をこなしながら、多くの大学に働きかけ、授業と人材をコーディネートする役割を担当する。報酬は月5万円ほどだ。

作家とNPO。セカンドライフを送るのに申し分のない地位と場を彼はどうして手に入れたのだろうか。

布施は大学卒業後の1970年に三菱商事に入社し、鉄鋼貿易業務に従事してきた。90年、43歳のとき、5年半のサンフランシスコ駐在を終えて帰国する。その際、2つの選択肢があった。1つは同じ鉄鋼部門。もう1つは未知の分野であった情報産業部門への転籍である。布施は悩んだ末、安全牌で前者を選択したが、帰国後、選択は失敗だったことに気づく。円高が進み、国内コストが上昇、日本で鉄をつくっても引き合わない時代になっていた。布施は、「このまま会社にいても出世は見込めないと思いました」と述懐する。

それからの布施の決断はすばやかった。50歳になったら会社を辞めて、物書きになろうと決意したのだ。「なぜ物書きだったのかはわかりません。文学少年でもなかったし、小説を書いたこともなかった。でも、会社の業務報告書は熱心に書き、上司から面白いといわれたことがあった。それが遠因かもしれません」と布施は振り返る。

そうと決まれば実践あるのみ。まず文章修業と通信講座に申し込んだ。この間、夜の飲み会は極力断り、毎日最低30分は机に向かった。無駄なお金を使わないと決め、50歳で退職して作家の仕事が軌道に乗るまでのマネープランもつくった。

それから2年が経ち、ある日、布施は真っ青になる。プランが画餅に帰していたのだ。原因はバブル崩壊後のゼロ金利。手っ取り早くお金を稼ぐ方法はないものか。「誰も行きたがらない発展途上国の事務所に行こうと思った。地域加算手当が出ますからね」。この目論見はうまくいき、布施は93年から98年まで、インドに赴任する。職住近接で、しかも単身赴任だったので、帰れば好きなだけ執筆に集中できた。

赴任を終えて帰国すると、かつての鉄鋼部門は組織が縮小されていた。布施自身の居場所もなく、子会社への出向を打診された。ちょうどそのとき、早期退職者優遇制度がスタートしたのを奇貨とし、辞める決断をする。運のいいことに上司の口利きで、再就職先もすぐ決まった。千葉市にある精密機械メーカーだった。しかし、真面目一本やりの技術屋の集団の中で、素人同然の布施は周囲から浮いてしまう。それならばと毎日、6時に会社を出て、平日は独身寮に帰り、自分の部屋でパソコンを打つ。書いた成果を自費出版してみたが、芽は出なかった。

現在までに12冊の本を出している。書く内容は、商社マン時代の体験をもとにしたノンフィクションや貿易実務論。「旅行が趣味なので、次は紀行本を書きたいですね」。
現在までに12冊の本を出している。書く内容は、商社マン時代の体験をもとにしたノンフィクションや貿易実務論。「旅行が趣味なので、次は紀行本を書きたいですね」。

土日は、藤沢にある実家に帰る。日課である散歩をするうち、近所に住む出版社の編集者と知り合いになり挨拶を交わすようになった。「書かせてください」と企画を持ち込み、一度は没になったが、逆に「こういうテーマはどうでしょう?」と持ちかけられて書いたのが処女作『54歳引退論』(ちくま新書)である。当時は精密機械メーカーに在籍しており、この本を書いたことで、本当に会社を辞める決意をする。3年間、無給でもやっていけるマネープランを見せ、強引に妻を説得し、そこから作家生活がスタートした。2002年11月のことである。

現在は自宅で執筆しつつ、週に2、3回、浜松町にあるNPOの事務局に通う日々を送っている。「事務局では、かつてのライバル同士、元商社マンの仲間がわいわいやっています。昔の地位は関係ない、コピーを取るのもお茶をいれるのもセルフサービスでみんな平等。気持ちのいいものです」。

布施は「犬も歩けば棒に当たる」という言葉が好きだ。布施が動いた先には、必ず救いの手を差し伸べてくれる人がいた。3年無給のプランも結局、御蔵入りとなった。 (文中敬称略)

(撮影=永井 浩)