06年9月に時給は30円アップされ、1130円になった。06年の年収は約220万円で、雪印食品時代の3分の1近くにまで減った。

だが、08年1月、吉村さんはこの職場も去ることになる。労働者派遣法は、製造業以外の業種で満3年間派遣先の仕事を続けた場合、派遣先企業には労働者を直接雇用する義務が生じると定めている。この規定を守らない会社も多いが、満3年にあたる07年12月7日、派遣先の事業所は吉村さんに「派遣雇用も直接雇用もしない」旨を通告。次いで、派遣会社も1月10日付で契約解除を通告してきたのである。

思い当たる節があった。07年11月、派遣会社に対し「時給100円アップ」などの要求書を出し団体交渉を行っていたのだ。また現場では、雪印食品時代の経験を踏まえて衛生管理の徹底を訴えるなどの“自己主張”をしてきた。

「派遣は自己主張もできない。自己主張をする人間はいらないというのは、人間をやめろというに等しい」と憤る。

今は失業手当とパートに出る妻の稼ぎだけが頼りだ。経験とキャリアを生かして働きたくても、復活の機会がない。

暮らしは厳しい。国民健康保険は払っているが、国民年金までは払えず食費にまわしている。派遣になってから、旅行らしい旅行に行ったこともなければ、スーツは1着も買ったことがない。一家で外食することすらまれだという。

「年金をもらえる年までは頑張らないと。雇用の不安のないところで、ハムやソーセージを作りたい」とため息をついた。