しかし、先進国にさえ依然として「恐怖」に頼っているリーダーが大勢おり、多くの人々がいまだにそれに耐えているのだ。

その理由の1つは、議論の余地はあるものの生徒や学生の間でのリーダーシップの1形態といえる「しごき」についてと同様、人々が恐怖モデルを「ここのやり方」として正当化していることだ。

もう1つの理由は、耐え抜くことそのものにある種の達成感を感じる人間がいることだ。彼らは、きわめて要求の厳しい上司の基準を満たすことに満足感を覚えるのである。

また、単純にエンパワーメント(権限付与)スタイルより専制スタイルの上司のほうが好きな者もいる。彼らは仕事をどのように遂行するかを自分で決めたいと思わず、単純に何らかのルールの下で行動することを好むのだ。さらに、部下に限界を超える努力を強いるような上司の下にいるほうが、最終的により大きな成功をつかめると信じている者もいる。

このように、「恐怖型」の上司の下で働ける人間がいるのは悪いことではない。恐怖に基づくリーダーシップが必要な状況も依然として存在するからだ。例えば、原子力発電所などで働く人々を束ねる上司が、危険を防ぎたいというような場合。こういった職場では安全性が何より大切なのだから、行き当たりばったりで指導するのではなく、厳しい管理を徹底する手法が賢明であるといえるだろう。

専制的なリーダーが愛を勝ち取ることも

社員たちが、自分に合った会社を選んで入社する傾向があるのと同じように、リーダーも自分の気質に合ったやり方を見つけるべきだ。実際、厳格で専制的であり、さらに野蛮で無礼でさえあっても、人の上に立つのにふさわしいだけの威厳を持ち、自分の下で働く人々のことを心から気にかけているならば、リーダーは、大きな尊敬を勝ち取ることができるはずである。