顧客は「中古車に乗った失業中の大学教授」

ビジネスの世界では、経営者と社員、販売員と顧客、本社と現場といった関係はすべて継続的なコミュニケーションに支えられているが、そこにはちょうどタッパーとリスナーのように情報の大きな不均衡がある。

リーダーは戦略を具体的な言葉に「翻訳」することで、知識の呪縛を打ち破ることができる。

その実例として、オーガニック食品やグルメ食品の豊富な品揃えで知られる人気食料品チェーン、トレーダー・ジョーズを考えてみよう。

トレーダー・ジョーズは「お客様に最も価値ある食品・飲料と、情報に基づく購買決定をしていただくための情報をお届けすること」を使命としている。これは同社の抽象的な概括的戦略表明以上のものではなく、同社をライバルの小売業者と区別する働きはほとんどしていない。しかし、トレーダー・ジョーズで買い物をすることは、ウォルマートで買い物をすることとはまったく異なる体験だ。トレーダー・ジョーズの店には、モロッコの煮込みソースや唐辛子スープのような、安価で、それでいて珍しい食品があふれているのである。

トレーダー・ジョーズは、他のところで具体的な言葉を使うことによって、知識の呪縛を打ち破り、戦略に明確な意味を注ぎ込んでいる。「安価な興奮でいっぱいの場所」という自社の世評を積極的に宣伝し、自社の対象顧客を「ずいぶん年季の入ったボルボに乗っている失業中の大学教授」と表現しているのである。

このイメージはもちろん単純化されたものであって、いついかなる時点をとってみても、トレーダー・ジョーズの店にこのような「対象顧客」はおそらく1人も来てはいないだろう。しかし、複雑な現実を単純化することによって、トレーダー・ジョーズは、すべての従業員が自社の顧客について共通のイメージを持てるようにしているのである。従業員は、「この教授は唐辛子スープが好きだろうか。好きにちがいない」と、具体的に考えることができるわけだ。

 

戦略目標を「物語」にして共有する

物語もまた、知識の呪縛から逃れるための効果的手段である。物語を語るためには、具体的な言葉を使わざるをえないからだ。

たとえば、国際宅配会社のフェデックスは、同社が設けているパープル・プロミス賞に関連した物語を使っている。この賞は、「絶対に、確実に」翌日にはお届けしますというフェデックスの保証を支えている社員たちを讃えるために設けられているものだ。

物語の舞台はニューヨーク。フェデックスの配送トラックが故障し、代わりのトラックの到着は遅れていた。ドライバーは、最初は徒歩で荷物を届けていた。しかし、これではすべての荷物を今日中に届けることはできないと判断して、ライバル会社のドライバーに頼み込んで最後の数軒の配達先に乗せて行ってもらい、無事に配達を終えたという話である。

このような物語は、「世界で最も信頼できる宅配会社になる」というフェデックスの戦略目標を具体的な言葉で表現したものだ。たとえば営業部門の幹部は、この物語を使って「わが社はこのように信頼性をきわめて大切にしています」と、顧客にアピールすることができる。新米の配送ドライバーであれば、この物語を行動の指針にすることができる。「私の仕事は決められた配送ルートを走って、午後5時に家路につくことではない。私の仕事はどんな方法を使ってでも荷物をきちんとお客様の元に届けることだ」と、胸に刻み込むのである。

具体的な言葉や物語は、知識の呪縛を打ち破って、経営幹部の戦略表明をより心に残るものにする。その結果、組織のすべてのメンバーが、戦略についての理解と戦略について議論する言葉を共有することができる。

(文=チップ・ヒース&ダン・ヒース 翻訳=ディプロマット)