ロジックを超えた“強い意志”で動かす

28年間、カナダとアメリカに駐在したキヤノンマーケティングジャパンの村瀬治男社長には忘れられない記憶がある。

十数年前、キヤノン本社がデジタル複写機「GP55」を開発。キヤノンUSA社長だった村瀬氏に売り込みの至上命令が下った。しかし、アメリカではまだアナログへのニーズが強く、ディーラーたちは及び腰だった。どう説得するか。ディーラー大会で演壇に立った村瀬氏の口から咄嗟にこんな言葉が飛び出した。

「これはGP55といって、皆さんが知りたがっている私の年齢と同じ番号がついている。だからぜひ買ってほしい」

<strong>キヤノンMJ 村瀬治男社長</strong><br>1939年、神奈川県生まれ。私立栄光学園高校卒。63年慶應義塾大学経済学部卒業後、キヤノンカメラ(現キヤノン)入社。71年からキヤノンU.S.Aに出向、93年キヤノンU.S.A社長など歴任。99年から現職。
キヤノンMJ 村瀬治男社長
1939年、神奈川県生まれ。私立栄光学園高校卒。63年慶應義塾大学経済学部卒業後、キヤノンカメラ(現キヤノン)入社。71年からキヤノンU.S.Aに出向、93年キヤノンU.S.A社長など歴任。99年から現職。

即興の落とし文句だった。本人が話す。

「アメリカ人には日本人の年齢が読みにくいらしく、アイツは何歳だと話題になっても、私はあえて秘密にしていた。その年はちょうど55歳。これを使おうと、ふと浮かんだ。理屈も何もありません。でも、ディーラーたちの耳には強く残った。以降流れが変わっていきました」

確かにロジックは支離滅裂だが、だからこそ相手は何としても売り込もうとする、ロジックを超えた“強い意志”を感じたのではないか。臨機応変の即興力で強い意志を示し、相手を動かす。村瀬氏が右腕として仕えた御手洗冨士夫・現キヤノン会長もキヤノンUSA社長時代、ディーラー大会でこんなことがあった。

乾燥地帯でキヤノン製複写機に障害が生じたため、糾弾の声が高まった。御手洗氏が演台に立つと場内騒然。そのとき、他の地域のディーラーが「われわれはキヤノン製品で儲けさせてもらったではないか」と弁護する演説を行った。すかさず御手洗氏は壇上に戻り、「障害の問題は必ず解決します。けっして迷惑はかけない。信じてほしい。われわれは運命共同体です」と30分間、大粒の汗を流し、訴えた。最後は拍手がわき起こった。

「あっという間に場の空気を一変させた。それは見事でした」(村瀬氏)

自身、プレゼンの場で相手の強い意志で背中を押されたことが何度もあった。思い出すのは、カナダのディーラーが他社の複写機からキヤノン製に切り替えたいといってきたときのことだという。