インターネットを末端で利用する我々にとり、グーグルやヤフーをはじめとする検索エンジンは、すでに空気のように不可欠な存在となっている。本書はコミュニケーションを専門とする著者が、検索エンジンの成り立ちをわかりやすく解説しつつ、その有用性と危険性の両方を熟知する「検索知識人」たれと説く。すべてのテクノロジーは諸刃の剣だ。社会生活に浸透してきた検索エンジンを神格化せず悪者視もせず、機能と限界をきちんと把握する必要があるのだ。

第一章と第二章では、検索エンジンが情報を収集しているメカニズムと利用法を解説する。我々が何げなく検索する語句は、検索エンジンによってすべて記録されている。「ウェブサイトを訪問すると、時刻や、IPアドレスや、ユーザーの使っているブラウザやOS、どのページから飛んできたかといった基本的な情報をサイトは記憶しているのだ。検索エンジンは同様の情報だけでなく、どんな語を入力したかも覚えている」(62ページ)。

それらの情報をもとに作られる「ページランク」が、第三章の主題である。検索エンジンのページランクが上がるかどうかは、企業にとって死活問題である。「グーグルの検索結果の最初のページに載せるため」のさまざまな努力と、それに伴う弊害が具体的に語られる。

第四章では、検索エンジンによる情報提示が民主的な議論を脅かしている可能性を論じる。たとえば、グーグルが中国や米国の政府による情報統制の要求を一部受け入れたことは記憶に新しい。また、ユーザー好みの検索結果の提供や、検索エンジンによる皮相的なランク付けによって、多くの優れた書物が忘れ去られていく。

たとえば、フランス革命について知りたいときに、革命に批判的なディケンズ『二都物語』やオルツィ『紅はこべ』だけでなく、肯定的なユーゴー『93年』やジョレス『革命の社会史』も読んだほうがよい。ところが、「グーグルが悪意を持っているとは思っていないが、英語で書かれた資料はどうしても、フランス人による見方を十分に表していない」(116ページ)のだ。現在、私は古典本の解説を週刊誌上に連載しているので強く感じるのだが、検索エンジンの高度化で、人気のない重要作品がますます縁遠くなる危惧を覚える。

第五章と第六章では、現行の検索エンジンが実質的な検閲に関与し、プライバシーを侵害する危険性について述べる。終わりの二章では、「ソーシャブル・サーチ」など多数の人間が協調して作る未来の検索システムへの動向が、詳しく紹介される。

著者は一貫して、検索エンジンをコントロールする人々が将来の社会を形成せざるをえない、という認識を持っている。生活の一部となった検索エンジンに翻弄されるか、もしくは理性的に活用するかは、我々ユーザー次第なのである。その最前線の状況を知るためにも、本書で準備していただきたいと願う。