酒屋の長男に生まれ、ゆくゆくは家業を継ぐつもりだった。しかし、先輩とのひょんな縁から広告業界に就職してしまう。そして、30歳のときに独立。テレビ向けの広告代理店・ビデオプロモーションを立ち上げた。

<strong>藤田 潔●ふじた・きよし</strong> 1929年、愛媛県生まれ。53年、早稲田大学卒業後、ラジオテレビセンター入社。60年、総合広告会社ビデオプロモーション設立、社長就任。2000年会長、09年より名誉会長。
藤田 潔●ふじた・きよし 1929年、愛媛県生まれ。53年、早稲田大学卒業後、ラジオテレビセンター入社。60年、総合広告会社ビデオプロモーション設立、社長就任。2000年会長、09年より名誉会長。

日本のアニメの知名度などゼロに近い時代、「鉄腕アトム」をアメリカに売り込み、見事輸出。深夜にテレビを見るということが考えられなかった時代に、「11PM」という深夜番組を手がけて成功を収める。

「人がやってない企画、誰もまだやっていないことをどんどんやってみたかったんだ」

そうやって走り続けるうち、いつしか起業して50年もの年月が経っていた。『テレビ快男児』は、まさに戦後のテレビ黄金時代とともに生きた藤田さんの半世紀にわたる回想録である。

起業した頃は、「あんな広告代理店になれたらいいな」と藤田さんが憧れていた会社がいくつもあった。けれどそれらの企業は今、ほとんど残っていない。現代の日本において、創業から50年続く会社は一%にも満たないというが、ビデオプロモーションがここまで存続できた秘訣は何だろうか。

「正直、自分ではよくわからない。ただ一つ、うちは手づくりの企画で、とにかく要求される商品に合った企画提案をすることだけを必死でやってきた」

数十年前から、いわゆる「提案型営業」を極めていたのだ。商品と情報が市場にあふれかえる今でこそ、提案型営業が普通に叫ばれる時代になったが、藤田さんは、早くにその重要性を悟っていたのだろう。クライアント至上主義を貫き、上場しないかといった話も「そんな暇がない」とすべて断ってきた。

国内外を問わず、思いついたらとにかく現場に足を運んだ。

「夜討ち朝駆け」は当たり前。商談相手の家に、直接営業にいくこともあった。相手が不在なら家の前で何時間も待ち続ける。そうするうちに奥さんや秘書のスタッフとも仲良くなり、何かあったときに助けてもらえた。

そんな人との縁や出会いを藤田さんは何より大切にしてきた。

「誰かとの雑談なんかからぱっと閃いて、いい企画ができるもの。何でもインターネットや携帯電話で済ませる若い人が増えたけど、実際人と会い、かかわる大切さを忘れてはいけない」

そして今、テレビの黄金時代は過ぎ去り、厳しい不況が業界全体を襲っている。業績が厳しいほど、業界は視聴率だけに振り回されるようになると藤田さんは語る。

「もちろん視聴率を否定するつもりはない。でも質を無視した番組をつくり続けていては、長続きはしないだろうね」

多くの番組が人気タレントに頼りすぎ、タレントをどう番組の中で生かしていくか、そういった工夫が感じられないと藤田さんは語る。

本書には、永六輔さん、佐藤しのぶさんなど、かつてともに仕事を手がけた人々との対談が収録されている。収録にあたり、しばらく会っていなかった知己との逢瀬を果たすことができた。そして、本が出版されたのを機に他の友人から連絡がきた。ラジオ出演の依頼なども舞い込んできた。

若い頃勤めた会社の上司の、「プロデューサーは黒衣に徹すべし」という教えを守り、スポンサーを売り出すことに全力を傾け、黒子に徹し続けた藤田さん。しかし、本を出したことで新たな気持ちが湧いてきた。

「もう自分は黒子ではなくなったなと思った。これからは堂々と外に出ていきたい」

40年間社長、10年間会長を務めた。そして名誉会長になった今、80歳にして新たな仕事人生のステージが、再び始まろうとしているようだ。