努力する人間を社会は放っておかない

一つは経験だ。自ら苦しい経験を重ねる中で見えてくるものがある。困難な課題に直面したとき、打開するのは「自分は間違っていない」という能力の過信でもなければ、「自分は間違っていた」という全否定でもない。信念は持ちつつも、困難な状況に応じて自らの思考を開いていく謙虚さだ。また、人は苦しい状況になるほど人の痛みがわかるようになる。他者への共感はともに困難に立ち向かう場を生み出す。

やがて、これまでにない知恵と力が生まれ、状況が変わり、不可能が可能になる。このとき、人は理屈では説明できない何か不思議なものを感じる。それは「サムシング・グレート(偉大なる何ものか)」と呼ぶべきものだ。

分子生物学の世界的権威で、高血圧の原因の一つ、レニン酵素の遺伝子解読に初めて成功した村上和雄・筑波大学名誉教授は、合理的には説明できない遺伝子同士の見事な調整に驚き、それを可能にするものをサムシング・グレートと呼んだ。それが人間の世界にも存在することへの気づきは、個人的な苦難の経験に加え、もう一つ、先人たちの数多くの経験を知ることによって初めて得られる。そのために必要なのが勉強であり、なかでも多くのものが得られるのが読書だ。私は多忙を極めた社長時代も年間60冊を読破した。

本を読むとは時空間を超えて、自分では経験できない経験をすることだ。すると、自身が経験した漠とした不思議さが先人たちの経験と結びつき、普遍化される。私の場合、2500年前の『論語』と出会い、経営の根幹にすべき倫理を学んだ。人間には本来、私利私欲や自己保身に走る「動物の血」が流れている。今回の金融危機はその歯止めが利かずに生じた資本主義の暴走以外の何ものでもない。その過程では自分たちの能力を過信した数々の強欲や傲慢が跋扈したことだろう。