前川さんなら、「日本は世界のために役割を果たせ」という

<strong>浪川 攻●なみかわ・おさむ</strong> 1955年、東京都生まれ。上智大学卒業後、電機メーカーを経て、金融専門誌、証券業界紙などで記者として活躍。月刊誌「Voice」の編集・記者を経て、現在、東洋経済新報社の契約記者。ペンネームでの作品も含め、著書多数。他に『金融自壊』など。
浪川 攻●なみかわ・おさむ 1955年、東京都生まれ。上智大学卒業後、電機メーカーを経て、金融専門誌、証券業界紙などで記者として活躍。月刊誌「Voice」の編集・記者を経て、現在、東洋経済新報社の契約記者。ペンネームでの作品も含め、著書多数。他に『金融自壊』など。

1979年から84年まで、第24代の日本銀行総裁を務めた前川春雄を知る多くは、40代以上の人たちだろう。

総裁時代には、第二次石油ショックに見舞われた。誰もが第一次石油ショック時の狂乱物価の再来を恐れたが、機動的な金融引き締めを行って日本経済を危機から救った。

当時の日銀は、いまとは比べものにならないほどに永田町や霞が関からの圧力が強く、金利を動かすことも並大抵なことではなかった。しかし、政局混迷のなかで、後に壮絶な死を迎える時の宰相・大平正芳の厚い信任を得ていたことが幸いした。

総裁退任後の85年には、経済構造調整研究会の座長を務め、国際協調型へと日本経済の転換をはかるべくまとめた報告書は、「前川レポート」として知られている。内需拡大、規制緩和を促すこの報告書は、当時、極めて高い評価を得た。

主に金融分野で健筆をふるってきた浪川攻さんが、前川を意識したのは、90年代後半に日本が金融危機に陥ったときだ。

「当時、日銀関係者に取材すると『前川さんだったらどうしただろう』という声が多かった。それならば本にできないかと思ったんです」

前川の辣腕ぶりを描くことに力を注いだのだろうと思っていたが、意外な答えが返ってきた。

「前川春雄という人間を知るほど、その魅力に惚れ込んだ。彼の“格好良さ”や“ダンディズム”を描きたいと思ったのです」

例えば、大平との関係だ。当時は、国会で予算審議が行われているときは、公定歩合を上げ下げすることはできなかった。予算編成時の金利を前提に次年度予算が決まるからだ。

日銀は手足を縛られているも同然だったのだ。しかし、前川は腹をくくり、大平首相の協力で予算審議の真っ最中に公定歩合を引き上げた。

「大平さんが亡くなったあと、命日には必ず墓前に花を手向けていました。これを知っていたのは大平さんの身内の方たちだけでした。こうしたさりげなさは実に魅力的です。前川さんは“流儀を通せる人”なんです」

タイトルにある「奴雁」とは、雁の群れのなかで、人や獣の接近を見張っている雁をいう。転じて見張り役となる。前川がいま生きていたらどんなことをいうのだろうか。

「前川さんは、国際会議の場で、何度も日本の役割を強く意識した発言をしています。経済が悪化している日本ですが、前川さんなら、『日本は世界のためにきちんと役割を果たせ』というでしょうね」

浅薄な発言や行動が目立つ現代、哲学を持った人間の生き方を学ぶことは大切だ。