実在するモデルにどれだけ深く切り込み赤裸々に描けるか

『金融腐蝕列島』も旧第一勧業銀行のトップをモデルにしたものです。彼は、今日本で一番真っ向から切り込んでいる作家でしょう。企業小説は、その切り込む深さが深いほど面白いのです。

また、三越のワンマン社長だった岡田茂社長を辞任に追い込んだ状況を描いた、大下英治さんの『十三人のユダ―三越・男たちの野望と崩壊』も優れた小説だと思います。とかく提灯報道が多くなりがちな新聞やテレビなどマスコミが触れることのできない、モデルのインサイドストーリーを赤裸々に描いてこそ、一流の企業小説家です。

僕も映像や文章でずっとタブーに挑んできたので、そうした“容赦なさ”には大変共鳴します。もっとも核心に「切り込む」ときは命がけでいかないといけない。僕自身にも心当たりがあります。仕事の内容によって年に数回、「殺しにいくぞ」といった脅迫状や刃物が送られ、街宣車もやってくる。

実名では書かないとはいえ、企業小説を書く場合も、企業の内部告発が発端となる場合があって、正攻法の取材だけではままならないことが多いわけです。ですから、企業小説家もきっと同じような経験があることでしょう。

彼らがそんなリスクを背負ってまでタブーに迫るのはなぜか。

立花隆さんが「文藝春秋」で、田中角栄首相を退陣に追い込んだといわれる『田中角栄研究・その金脈と人脈』を執筆した理由を、本人に聞いたことがあります。すると、権力との対峙というジャーナリストとしての使命よりも、「人間・田中角栄への好奇心」だと答えました。企業小説家にも多かれ少なかれそうしたメンタリティがあると思う。「ウラ社会」や「悪徳社長」といった対象への強烈な好奇心、面白がりの精神。それらがタブーに挑むモチベーションとなっているのでしょう。

その意味で今、トヨタやパナソニックの裏側を克明に描けるような企業小説家を、僕は待ち焦がれています。

しかし、そうした企業小説の主人公の輪郭をリアルに描くには、並の技術では叶えられません。執筆力はもちろん、関係者から綿密な取材をして事実の「核心」に迫る必要があります。

ロッキード事件の担当検事だった堀田力さん(現さわやか福祉財団理事長)に、容疑者を落とすテクニックは何かと、しつこく聞いたことがあります。

堀田さんはこう答えました。

「結局のところ相手に惚れることです。容疑者を憎んで、一方的に責め立てても落ちない。惚れて、惚れて、惚れ抜いたときに、ポロッと落ちるんです」

相手が強盗殺人犯でも、強姦魔でも、惚れられますか?

僕が尋ねると「惚れられます。何もやらない人よりはるかに面白い」と。この感覚、僕はとてもよくわかります。そんな取材対象者に“惚れる”感覚が相手にも伝わり、ある種の信頼感が醸成されるからこそ、小説の核心に関わるシークレットな情報も入手できるのでしょう。

企業小説とは違うけれども、最近とんでもなく間違っているのは、いわゆるブラックジャーナリズムを排斥する流れです。これがジャーナリズム全体の衰退に結び付いていると思う。

かつては、総会屋が発行する雑誌など、ブラックジャーナリズムがあった。そうした中には、非難されてしかるべき記事もありますが、なかには優れた作品もしばしば発表されていたのです。

数年前、評論家で麗澤大学教授の松本健一さんが、『評伝 北一輝』を岩波書店から出しました。ところが、実はこの本を最初に出版したのは総会屋系出版社といわれた現代評論社で「現代の眼」という雑誌の連載をまとめたものでした。一般的に、有名な出版社は“危ない本”を避けたがる傾向にあります。私も読みましたが、素晴らしい内容で、司馬遼太郎賞を受賞しています。そういうことだってあるのです。

(構成=大塚常好 撮影=若杉憲司)