<古今東西の人間学が創造的「檄」を生む>

<strong>JFEホールディングス社長 數土文夫</strong><br>1941年、富山県生まれ。64年北海道大学工学部卒業、同年川崎製鉄(現JFE)入社。<br>2001年川崎製鉄社長、03年JFEスチール社長、05年より現職。経済同友会副代表幹事。<br>世界の古典に精通する「論客」の1人。
JFEホールディングス社長 數土文夫
1941年、富山県生まれ。64年北海道大学工学部卒業、同年川崎製鉄(現JFE)入社。
2001年川崎製鉄社長、03年JFEスチール社長、05年より現職。経済同友会副代表幹事。
世界の古典に精通する「論客」の1人。

エンジニア出身の私はたくさんの技術論文を書いてきました。当たり前のことではありますが、論文を書く場合、大切なのは「起承転結」です。

まず「起」で、現在の社会の状況や科学技術分野で問題となっている事柄を挙げ、「承」では、そのような背景の中で私はこのテーマを選んだ、理由はこうである……といったことを書きます。次に、そこから一転して、たとえば、私はこういうことを発明したという主題を展開するのが「転」。最後は将来に繋げる「結」論ということになります。

私はフランス料理のコースも起承転結ではないかと感じています。前菜やスープに続いて、メーンディッシュが「転」です。メーンディッシュが「転」だというのはそれが登場することによって場がパッと変わるからです。「転」はアピールのしどころでもあるといえます。これは、文章も同じです。起承転結という形を採り、「転」のところに内容とインパクトを持たせる。それが読み手に一番素直にアピールする形式なのでしょう。

加えて、個々の文章については「簡潔明瞭」であることがまず第一に大事だと考えています。簡潔な文章で、かつ絶対に読み間違われないということ。とくにビジネスパーソン、組織の人間として文章を書く場合、絶対欠かせない条件です。私は学生時代から中国の古典に親しんできましたが、中国の古典は現代の中国人が読んでも難解です。日本人が『源氏物語』や『枕草子』を読み解く以上に大変でしょう。なぜなら、文章が非常に簡潔な表現で書かれているからです。