現在の主力事業は、ケミカルと住宅で、売り上げ全体の約7割、営業利益の約6割を占める。「中期的展望としては、4つのセクターで、それぞれ利益の4分の1ずつを稼いでいきたい」。

海外については「みんな外の市場はナンボでも伸びるっていうが、やっぱり、必ず勝てる事業でなければ意味がない」。だから、ケミカルでは、世界的に見ても高い技術力を誇るアクリロニトリルモノマーに、集中投資する。

旭化成はいま、11年度からはじめる新しい中期経営計画の議論の真っ最中だ。今回のキーワードは「融合」。そして「環境との共生」「健康で快適な生活」が、各事業を貫く横串となる。「どの化学会社も似たようなキーワードだから、なんで旭化成でなくてはならないか、という話をみんなでしている。我々は化学会社にしては珍しく、住宅とか、LSIを持っている。そういう事業を融合させれば、よそと違った展開ができるんじゃないか」。多角化の先にあるのは、それらを融合したシステム型事業というわけだ。

藤原は69年に京都大学工学部を卒業後、旭化成工業(現旭化成)入社、水島工場に配属されて「石油化学どっぷりの生活を送った」。95年から8年間は、地域統括会社を創設するため、シンガポールに滞在。日本に戻ってからは、エレクトロニクス関連の旭シュエーベルの社長を務めた。「シンガポールでは、国という概念抜きに、個人で仕事はできないとわかって、人生の価値観が変わった。エレクトロニクスは、石油化学に比べて、事業のスピード感がまったく違って新鮮だった」。

藤原は旭化成の精神は「挑戦力」と思い定めている。従業員には「旭化成では何でも経験できる。まず、オレはこれがやりたいといえ」と発破をかける。

経営陣には、山口信夫代表取締役名誉会長という大御所が控える。やりにくくないかと訊くと、「会長がオペレーションに関与することは、あまりないようにしようと決めてある」と、ここだけはほんの少し歯切れが悪かった。

藤原は自転車にも乗れば、書もたしなむ。保有する自転車は4台。大阪勤務のころは、片道30キロの京都まで、自転車で出かけた。行動派の才人経営者は、旭化成にこれから自らの筆を下ろす。(文中敬称略)

(門間新弥=撮影)