エリートではない。でも男の中の男、42歳の山崎武司はいぶし銀の光を放つ。プロ野球生活25年目。「ぼくはハチャメチャな人生を送ってきたけれど、“ナニクソ根性”でやってきた。常に土俵際。そこらへんのエリートには絶対負けるか、と思ってやってます」。

<strong>やまさき・たけし</strong>●1968年、愛知県生まれ。愛工大名電高校時代、通算56本塁打を放つ。86年、中日ドラゴンズ入団。96年、初の本塁打王。2003年、トレードによりオリックスに移籍。04年、戦力外通告を受ける。一度は引退を考えたが、楽天に入団し、07年、本塁打王・打点王に。
山崎武司●やまさき・たけし 1968年、愛知県生まれ。愛工大名電高校時代、通算56本塁打を放つ。86年、中日ドラゴンズ入団。96年、初の本塁打王。2003年、トレードによりオリックスに移籍。04年、戦力外通告を受ける。一度は引退を考えたが、楽天に入団し、07年、本塁打王・打点王に。

その波乱の人生をまとめたのが本書である。閉そく感漂う社会をいかに生き抜くのか。何事も「考え方」。どの道であれ、その道を極めた人の言葉は示唆に富む。どだい本のタイトルからして、意味深ではないか。

中日に入団し、およそ10年間は下積み生活を送った。奇しくも新人時代の監督が、楽天の新監督となった星野仙一氏である。血気盛んな監督から、たっぷりスパルタ指導を受けた。

結果を出すための「1から10」があるとすれば、ベースとなる「1から4ぐらい」は星野監督の時代に培われた。「勝つか負けるか。非情にならないとプロでは生きていけない」。

高校時代や下積み時代、なんでこんなくだらないことをしないといけないのか、と悩んだことがあった。でも我慢してやってみた。「踏ん張ったらなんとかなるという気概が生まれた。土壇場になったとき、俵で耐えられる、まわしの小指一本で我慢できる人間になったのです」

つまりは、やってみる。一歩、踏み出す勇気である。2004年オフ、オリックスから戦力外通告を受けた。もう野球をやめようと思った。でも当時、小学校3年生の長男がぽつりと漏らした。「野球を続けてほしい」と。

楽天からの誘いに乗り、仙台に移った。身も心もボロボロだったけれど、思い切って打撃フォームの改造に取り組んだ。移籍3年目には本塁打王・打点王の二冠に輝いた。

「最後は自分で決めることですけれど、自分ひとりじゃ何もできない。支援してくれる人や友達、恩師、家族が大事なんです」

インタビューは久米島のキャンプ中だった。雨空を見上げ、「中年の星」、いやアラフォーの星はつぶやいた。正直だ。

「何回やっても憂鬱ですよ、キャンプは。自分のからだと頭のイメージがまったく一致しない。そこを埋めていく。すごく気が重いんです」

さあ、開幕である。好きな言葉が「義理人情」。目標は2000本安打(現在1698本)。

ことしはナニ色に?「真っ赤っ赤に燃えたい。そろそろ仙台に優勝旗を持ってきたいな」。

世の中、理不尽なことばかりだナ。そう嘆くご同輩にこの一冊を。ビタミン剤のごとく、ハラの底から元気が出るゾ。

※すべて雑誌掲載当時