「キツツキのクチバシ」と「歯痛」の関係とは

レヴィ=ストロースは、いうまでもなく現代思想に期を画した構造主義の大家。人とは、何にもまして、自らを取り巻く状況を秩序づけなければ生きてはいけない存在だと考えた。彼の考えが新カント主義(観念先行)だといわれる所以は、そのあたりにある。彼の主著の一つである『野生の思考』の中に、それに関わって、ヤクート族という民族の面白い話が紹介されている。

ヤクート族では、キツツキのクチバシに触れると歯痛が治ると信じられている。現代の医学からすると、「なんとバカげたことを。彼らヤクート族は、歯痛が起こるメカニズムがわかっていない」と、一笑に付すことだろう。

しかし、レヴィ=ストロースは、そうは見ない。その民族が、キツツキのクチバシと歯痛とを結びつけたその知に注目する。彼は言う。

「かような知識は、実際的にはほとんど有効性をもたないという反論があろう。ところが、まさにおっしゃるとおりであって、第一の目的は実用性ではないのである。このような知識は、……(中略)、物的欲求を充足させるのではなくて、知的要求に答えるものなのである。真の問題は、キツツキの嘴に触れれば歯痛が治るかどうかではなくて、なんらかの観点からキツツキの嘴と人間の歯をいっしょにすることができるかどうかである。……。けだし、分類整理は、どのようなものであれ、分類整理の欠如に比べればそれ自体価値をもつものである」(『野生の思考』みすず書房)

歯が痛い。しかし、彼らには、何が起こっているかわからない。もちろん、歯痛への対処法もわからない。原因も理由も何もわからない。まさにカオス(混沌)のなかに置かれる。人は、カオスには耐えられない。そこで、何かしら、起こっている事態を分類し整理し、さらに何をどうしたらどうなるのかという因果の構図を引き出そうとする。

「キツツキの嘴と歯痛との間に関係がある」という主張は、現代に生きるわれわれにはナンセンスな話だが、そうであればあるほど、「カオスを秩序づけたい」、あるいは「意味のない今の事態を、何とか意味づけたい」と思う彼らの知的欲求が透き通って見えてくる。自然の理(ことわり)が最初にあって、それが人の意識に反映し、そして社会の秩序ができていく、というわけではないのである。

ヤクート族においては、われわれからは不合理に見える関係を前提にして、現実世界のありようが構成されている。たぶん、日本に住むわれわれも、外の世界の人から見ればそうした不合理な関係をベースに、現実世界を構成しているのだろう。

そのことは、しかし、「現実世界を何とか秩序づけたい」という知的欲求こそが、自らの世界の中の秩序をつくり出すことを暗示する。そう、レヴィ=ストロースは言う。