イスラム圏ではエジプト、モロッコ、新疆ウイグル自治区などに行ったことがある。それぞれヨーロッパ人の避暑地であったり、シルクロード観光の拠点であったりと、じつは家族旅行向きなのだ。これらの国ではホテルの中は欧米だから、酒は飲み放題である。日没時に町中のスピーカーから聞こえる、礼拝を促す詠唱「アザーン」を聞きながらビールを飲むことほど気持ちのいいものはない。

乾いてひんやりとし始めた空気、砂漠に沈み始めた赤く柔らかな太陽、二重三重にエコーがかかっているように聞こえるアザーン、冷えたハイネッケン、このためだけにわざわざイスラム圏に旅立つ気になるほどだ。

本書はそんなヤワな観光客とは隔絶した、プロの辺境作家によるイスラム圏での酒飲みエッセイ集である。秘密警察の目をかいくぐりイランで酒を飲む。海賊で有名な破綻国家、ソマリアで酒を飲む。紛争が絶えない反米独裁国家のシリアで酒を飲む。ほぼ内戦状態にあるアフガニスタンでも酒を飲むのである。しかも、ホテルの中ではなく、現地の人々と一緒に現地の酒を飲むのだから、旅行好きにとっても、酒好きにとっても、本好きにとっても、面白くないわけがない。

ほかにもチュニジアやバングラディシュなどの国を入れて8章立てなのだが、ほとんどすべての章の1行目は「私は酒飲みである。休肝日はまだない」だ。ノンフィクションライターが取材のために現地人とちょっと酒を飲んでみたというのではないのだ。毎日どんどん飲むのである。ソマリランドでは準ドラッグといわれるカートという葉っぱに1ヵ月も酔っていたりするのだ。

アフガニスタンではお目当ての中華料理店が爆破されていたため、別の中華料理店を探し出す。そして、そこで見たのはいわゆるアジア式カラオケバーだった。思わぬ展開にハラハラしながらも、苦笑してしまう。

奥さんとチュニジアのオアシスを散策していたら、真っ暗な林のなかで見知らぬ若い男に誘われてしまう。サラリーマンのムスリムたちが集まって、隠れ酒盛りをしていたところに出くわしたのだ。そこから先は世界共通の宴会状態になる。じつに楽しい。

しかし、本書は奇をてらった構成の旅行記ではない。全編を通じてイスラム圏の楽しさが伝わってくる素敵な本なのだ。ムスリムには建前と本音がある。公共と私がある。そのことを知ってイスラム圏を旅すると、著者いわく「ムスリムの人たちは酒を飲む人も飲まない人も、気さくで、融通がきき、冗談が好きで、信義に篤い」のだ。

著者の相棒である森清カメラマンの写真も面白い。40枚あまりのカラー写真は説明的でもなく、アートを気取ってもいない。全体としてこの本の底流となっているイスラムの印象を映しこんでいて見ごたえがある。