立場や責任で人間は変身する

技術の進歩が速く、もう、一人が多くの分野をこなすことは難しい。設計の担当は細分化され、複写機一つとっても約600人もの技術者が関与する。自分の時代は、多くても数十人。「エースで四番打者」が、チームを引っ張っていた。いまや、専門性を持った人々がそれぞれの役割を果たす「全員野球」の時代だ。

当時、カラー複写機の開発に取り組んでいて、それを痛感した。商品化が遅れ、できた製品も満足できない。色はシアン、イエロー、マゼンタ、ブラックの4色で構成するが、一つ一つの画素の大きさや配置によって、色合いが全く違ってくる。でも、利用者が仮に千枚刷っても、すべてが同じ色合いでなければいけない。ミクロン単位のコントロールが必要なのに、技術が追いつかない。以前のような「力ずく」では、もはや無理。会社に入って、一番苦しいときだった。数百億円規模の費用が消えた。でも、そこから、多くのことが学べた。お陰で、いまがある。

人間というのは、立場や責任の範囲が変われば、それに合わせて変身するものだ、と思う。「遊ぶために働くのであり、仕事は暮らしの手段に過ぎない」という考え方も、いまは違う。社長になって、「社員たちに、不幸な思いをさせたくない」との思いが、「仕事第一」に追い立てる。だから、鮎釣りも、山登りも、めっきり減った。常に「ひじょうに厳しいビジネスの世界をくぐり続ける『もう一人の自分』がいる」――そんな感覚に包まれている。

「行年50年にして49年の非を知り、60にして60化す」――中国の書『淮南子(えなんじ)』にある、春秋戦国時代の●伯玉(きょはくぎょく)に関する言葉だ。●伯玉は50歳になったとき、49年間の人生を振り返り、過ちだらけだったと反省し、出直しを決意する。その後、徳行を重ね、足らざるところ、及ばぬ点を改めて、60歳になったときに60歳なりの姿に変貌を遂げていた。つまり、この言葉には「自己改革は、いつからでも始められる。人間の進化には、終わりがない」との教えが、込められている。

「全力傾注」から「家族との時間重視」、そして再び「仕事第一」へ。変身を重ねながら、この10月には還暦を迎える。でも、いまでも好奇心は尽きない。やりたいことが、たくさんある。朝早く起きて、専門紙を3紙読み、興味を持った記事に印を付け、とっておく。それだけでない。関係する仕事をしている社員にも、送りつける。2週間ほどして、その件について「リポート」が来ると、うれしそうに読む。でも、何よりも勉強になるのは、人と会うことだ。現場で何が起こっているかを聞くことは、新鮮だ。本や新聞は、形よく加工してあるので、あまり役に立たない。必要なのは、加工された姿の向こうにある「事実」なのだ。

売上高に占める海外比率を、いまの50%から75%へ上げることを目標にしている。そのために、米IBMからデジタルプリンタ事業を875億円で買い取り、昨秋には米国の事務機器販売会社を1700億円で手に入れた。そうやって、ほしい技術やビジネス網にM&Aを仕掛けるにも、現場の「事実」を豊富に知っていなければいけない。

世界同時不況の波を受け、09年3月期に2期連続の減益となった。しばらくは「我慢の経営」を強いられる。不本意なことだろう。でも、「60にして60化す」で、40代で得た教訓をさらに超えた姿を、見せてくれるのではないか。OA機器を効率よくシステム化する「ソフト&サービス事業」の大展開。頭の中は、そこへ向かって回転している。

何しろ、座右の銘は「ネバーギブアップ」だ。

※●=くさかんむりに遽

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)