参議院議員 舛添要一(ますぞえ・よういち)
1948年生まれ。71年、東京大学法学部卒業。同大学助手などを経て、79年、同大学教養学部助教授に就任。その後、舛添経済研究所を設立。2001年参院選で初当選。07年、安倍内閣で厚生労働大臣として初入閣。09年より参議院予算委員会理事。


 

舌鋒の鋭さを武器に、テレビの討論番組から誕生した「知識人タレント」である。過去2回の参議院選挙ではいずれも自民党でトップ当選したが、人気に胡坐をかかず、目立たぬ調整役も厭わない。ベテラン議員からの評価も高く、2007年には厚生労働大臣にまで駆け上がった。

その舛添氏が、今、活路を見出せない自民党執行部を過激に批判している。

「これくらいやらないとメディアは注目しない」と本人が語るように、執行部批判はメディア戦略でもある。旧勢力を敵に仕立て上げ、メディアの前で徹底的に叩くやり方は小泉の手法に近い。「二極対立」という演出がメディアを引き付けるツボであることを熟知した、タレントの感性だ。メディアの世論調査で「総理にふさわしい政治家」のトップにランクイン。実際に総裁への擁立も取り沙汰され、夏の参院選に向けたキーマンに躍り出た。

今、彼に求められるものは、タレントからリーダーへの脱皮である。欲しいのは総裁のイスか、それとも新党か、そこで実現したい理念は何なのか。ところが当人は「最終目標は決めていない。むしろ決めないほうがいい」とかわすばかり。手の内を見せないというよりも、決断できていないのが実態である。

舛添氏はときに臆病な一面も見せる。去年、1人の秘書が事務所を去った。歯科医師だったこの秘書は、今年の参院選に出馬すべく動き始めていた。しかし、歯科医師会の推薦を巡って他候補と熾烈な対立となり、「舛添の秘書にスキャンダルあり」という怪情報が飛ぶ。舛添氏は真偽も確かめず「とにかく辞めてくれ」と追放してしまった。

政治に誹謗中傷はつきものであり、一喜一憂しない胆力が必要だ。騒ぐだけの「人寄せパンダ」か、信念ある「リーダー」かの岐路に立たされている。