“バイク絶滅”の危機に奔走

「何がなんでも“絶滅危惧種”を守らなければ……」。ヤマハ発動機の日髙祥博社長が使命感に駆られるのは野生生物のことではなく、同社の主力事業の二輪車(バイク)である。バイクの国内販売台数は1980年代のピーク時には年間300万台を超えていたが、ここ数年、40万台を割り込むほどの激減ぶり。

ヤマハ発動機社長 日髙祥博氏(時事通信フォト=写真)

「バイクの日」の2019年8月19日、都内では日本自動車工業会(自工会)などが主催するイベントが開かれた。自工会の二輪車特別委員会の委員長を務める日髙社長は「私も1人のライダーとして、愛車に跨り風を切って走る爽快感がたまらないが、交通マナーを守ってツーリングを楽しんでほしい」と、バイクの魅力と安全運転を訴えていた。

87年名古屋大学法学部卒業後、ヤマハ発動機に入社。「バイク好きで、学生の頃からヤマハを乗り回していた」のが入社動機という。フランスに5年、オランダの欧州統括本部に6年駐在。その後、業績悪化の米国法人に副社長として出向。2年半の在任中にV字回復させた手腕と豊富な海外経験により2018年1月、取締役から社長に大抜擢された。

同社は21年までに売上高2兆円、営業利益1800億円を目指す中期経営計画を実行中。ただ、19年中間決算で業績予想を下方修正するなど道のりは険しい。売り上げの6割以上を占める二輪事業や利益率が高い船外機に次ぐ第3の柱として産業用ロボットなどの新規事業の強化が目標達成の決め手。就任2年目、早くも真価が問われる。

日髙祥博(ひだか・よしひろ)
ヤマハ発動機社長
1963年生まれ。87年名古屋大学法学部卒業後、ヤマハ発動機入社。上席執行役員企画・財務本部長を経て、2018年代表取締役社長。
(写真=時事通信フォト)
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