八重樫は野球だけではない。囲碁は五段の腕前と趣味も多彩だ。

しかし、地頭がいい人間はほかにもいたのではと問うと「結構できる人が多く、甲乙つけがたかった」と認める。その中で八重樫に決めた理由の1つとして「外務省の領事局政策課長をしていたので、大使館は全部知っていると思う。それに、若いときにロシアに長く勤務していたからロシア語もできる。これからロシアの市場は拡大するので、使いものになるんじゃないかと思った」と語る。

地頭力と豊富な人脈と国際経験が田邊の眼鏡にかなったということだろう。

じつは八重樫の妻はアメリカ人だ。外務省を辞めて民間の会社に移ることに最初は不安だったという。八重樫は「公務員が安定していることを妻も一応知っています。不安になってアメリカ人の友人に相談したらしいのですが?今は公務員の転職は珍しくないよ?と聞いて、何か安心したようです」と言って笑う。

だが、社長を選ぶのに内部昇進ではなく、なぜ外部から持ってくる必要があったのか。それは、ユーシンの置かれた現在の環境と無縁ではない。

同社は1926年に先代の社長が創業。自動車やオートバイ部品の輸入販売商社を皮切りに、戦後は自動車部品メーカーとしてモータリゼーションの発展とともに成長してきた。得意とするキーセット(ドアキーシリンダー、ステアリングロック等のセット)の国内占有率は第2位。マツダとの取引が3割を占め、国内の2つの生産拠点のほか、欧米、中国、タイ、インドにも生産拠点を置く。グループの従業員は国内外で約4000人。10年11月期の連結売上高は624億円、連結経常利益は56億円で過去最高を更新した。

しかし、田邊は以前から国内だけでは存続できないという危機感を抱いていた。