茨城県守谷市の常磐自動車道で起きた「あおり運転事件」が日本中を騒がせている。なぜこれほど注目を集めているのか。文筆家の御田寺圭氏は「『自分はただしい』と確認したい不安な人たちと、身近な危険に怒れる人たちの声が共振しているからだろう」と分析する――。
写真=時事通信フォト
2019年8月19日、取手警察署に入る宮崎文夫容疑者

「映像」がセンセーションを巻き起こした

茨城県守谷市の常磐自動車道で10日に「あおり運転」をして車を停止させ、運転手の男性を殴って負傷させたとして、茨城県警は18日、傷害容疑で全国に指名手配していた住所・職業不詳、宮崎文夫容疑者(43)を逮捕した。大阪市東住吉区の自宅とみられるマンション近くの路上で、県警捜査員が取り押さえた。捜査関係者によると、「殴ったことは間違いない」と容疑を認めている。
(毎日新聞「犯人蔵匿・隠避容疑で51歳女逮捕 あおり運転 逮捕の男は暴行認める」2019年8月18日より引用)

近頃連日のように話題となっている「あおり運転暴行事件」。全国指名手配されていた男が逮捕されたほか、同乗していた女も男をかくまった疑いによって逮捕された。

あおり運転の果てに相手の運転手を執拗に殴打するなど、身勝手極まりない行為である。その危険性の高さもさることながら、事件映像が記録されていたことにより大きなセンセーションを呼び、容疑者の男に対する世間の風当たりはひじょうに厳しいものとなっている。