一方、プロジェクトへの注目度は高かった。ホンダがトヨタの初代プリウスに続き、1999年に発売したハイブリッド車、初代インサイトは「世界一の低燃費」達成のためにつくられた先端技術の塊のようなクルマだった。タイプは2シータークーペ。販売実績は5年半で約1万6000台にとどまった。今度はまったく新しいハイブリッド車を開発する。それをPL初体験者やハイブリッド未経験者が半分を占めるチームで行うのだ。しかも、人事権や予算権は各部門側にあり、LPLは公的な権限は持たず、リーダーシップだけで率いなければならない。

「ハイブリッド車とは何なのか、そこから入らなければ必ず行き詰まる」。関は3月に入ると、国内で調達できるハイブリッド車を集め、主要メンバーとともに「試乗会」の合宿を行った。昼は分乗し走り回り、夜はホテルで酒を酌み交わしながら、その日乗ったクルマをどう感じ、どこが感性に合わないか、自由に語り合った。そのねらいをこう話す。

「机上から入ると、この技術を使えば安くなるとか、自分の都合で手段から入ってしまう。それでは最適な図面は引けません。当時ハイブリッド車全体のシェアは1.5%。大半のお客様は初めて乗る。だから、未経験のわれわれ自身どう感じるか、体感することから始めよう。発言は絶対否定しない。担当分野以外についても自由に語ってもらいました」

4月、2度目の試乗会で関は開発コンセプトを示した。燃費だけでなく、使いやすく、楽しいクルマを低価格で提供する。「98.5%の顧客」のために、次の時代の「普通のクルマ」をつくる。

「全体の目標を共有し、ベクトルを合わせる。それをメンバーが自分のカテゴリーに当てはめたとき、どんなクルマをつくろうと思うか、個の目標を明確にする。それが試乗会の最大の目的でした」(関)

ホンダには現場・現物・現実の「三現主義」、合宿して課題に取り組む「山ごもり」、年齢役職に関係なく議論し合う「ワイガヤ」の文化が根づく。独自の流儀でベクトルを合わせたチームは以降、困難に挑んでいった。そのハードルを高めたのはトップだった。5月、福井威夫社長(当時)がメディアで「ハイブリッド専用車を09年に200万円以下で発売する」と発言。タガがはめられた。

「ハシゴを外され、床に火まで放たれた。あとは上に登っていくだけでした」

(増田安寿=撮影)