福島発電所の事故で、今後、東京電力は多額の損害賠償金を支払う可能性に直面している。生き残る道はあるのか。東電存続の行方を、株主責任や増資、融資など財務的観点からうらなう。

損害賠償額は純資産額を超えるか

福島の原発事故は東京電力に巨額の賠償責任をもたらすことが予想されている。昭和36年(1961)に制定された「原子力損害の賠償に関する法律」の第3条には、「原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる」との規定がある。電気事業連合会のホームページによれば、この責任は無過失・無限定。この賠償責任の履行を迅速かつ確実にするため、原子力事業者に対して原子力損害賠償責任保険への加入が義務付けられている。通常の商業原子炉の場合、その賠償保険の限度額は現在のところ1200億円である。

また、賠償措置額を超える原子力損害が発生した場合に国が原子力事業者に必要な援助を行うことにより被害者救済に遺漏がないよう措置する、ということになっている。今回の損害は1200億をはるかに超えるであろう。場合によっては、東京電力の純資産を超えてしまうかもしれない。また先ほどの第三条には、「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」という但し書きもある。もし損害賠償額が東京電力の純資産額を超えるものになってしまった場合に、いかに対応するかというやっかいな問題を政府は解かなければならない。

なぜやっかいなのか。会社の所有者である株主は有限責任だからである。有限責任とは、自己資本を上限として責任を負うが、それ以上の追加的な責任は負わないという法的な概念である。

あまり知られていないが、アダム・スミスは、この有限責任が株主の無責任を生む可能性があるから、株式会社という制度をあまり広げないほうがよいと警鐘を鳴らしていた。彼の危惧に反して、株式会社の制度は普及した。そのおかげで、資本主義経済は大きく発展できた。

有限責任という法的な工夫があったからこそ、株式を買おうとする人々が現れ、資本、とりわけリスクを負担してもよいという資本が大量に集まったのである。

株式会社という制度がなければ、民間のお金で巨大な発電設備をつくることなどできなかったであろう。ところが、その巨大な設備がもたらす巨額の損害賠償責任を会社が負った場合には、株式会社は無力になってしまう。有限責任という制約があるからである。この問題のもっとも単純な解決法は、会社の清算である。東京電力の2010年度末の純資産は2.5兆円である。きわめて乱暴に言えば、東京電力を清算すれば、その純資産とほぼ等しい2.5兆円のお金をつくり、それを賠償にまわすことができるはずだが、それは難しいだろう。資産をワンセットで買ってくれる投資家が出てくればよいが、純資産と同じだけの金額を払ってくれる投資家はいないだろう。大きな賠償責任を負っている会社の価値は低いからである。民間が投資しようとすれば、かなりのディスカウントが必要になる。ワンセットで売るとなると、国が買い手になるしかないのかもしれない。国有化という解決策である。ワンセットで買おうという投資家が出てこない場合、資産のばら売りが必要になる。そうすると、清算後の残余財産は現在の純資産よりかなり小さくなる可能性がある。

清算するとなると、働いている人々に退職金を払わなければならない。急いで資産売却を行えば資産の売価は帳簿価格より低くなる可能性もある。会社を清算しても賠償責任をすべて果たすことができない場合にはどうするか。払えるだけは払うが、後は知らない、ない袖は振れないという無責任な解決策があるが、弱者である被害者にこのような解決策を強いることは許されないだろう。