痛ましい児童虐待のニュースが絶えない。そして事件のたびに母親が糾弾される。法政大学の上西充子教授は、「『母親なんだから、しっかりしなさい』と叱ったところで、問題は解決しない。母親であっても子育てから降りられる仕組みを整えるべきだ」と指摘する――。

※本稿は、上西充子『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)の第3章「ジェンダーをめぐる呪いの言葉」の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/kieferpix)

母親ばかりが「何をしていたのだ」と責められる

虐待によって子どもが死亡する、ネグレクト(育児放棄)によって子どもが死亡する、そういう事件が起きるたびに、なぜ子どもを守れなかったのか、と母親に目が向けられる。

なぜ父親は暴力をふるったのか、なぜ父親は子どもを育児放棄したのか、とはあまり問われない。父親が暴力をふるおうとも、子どもを邪険に扱おうとも、あるいは、離別した父親が養育費を払わない状況であっても、母親には子どもを守る役割があるとして、「母親は何をしていたのだ」と目が向けられるのだ。

そんななかで、なぜ親は虐待(ネグレクトを含む)をおこなうのかと、親の側に丁寧に目を向けているルポライターがいる。杉山春だ。『ネグレクト 育児放棄―真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館、2004年)、『ルポ 虐待―大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書、2013年)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新書、2017年)など、「なぜ、親がそんなむごいことを」と思われる事件の背景を丁寧に取材し、著作として世に問うてきた。

親たちに共通する過剰な「生真面目さ」

杉山が注目するのは、わが子を虐待死させる親たちに共通してみられた過剰な「生真面目さ」だ。食事も与えずに放置して子どもを死なせる、そんな親に「生真面目さ」などあるものかと思うかもしれないが、生真面目に「母親」役割や「父親」役割を務めようとし、しかしそこに無理が生じる、その先に虐待が起きているという一面があると杉山は見る。

たとえば、2010夏、3歳の女児と1歳8カ月の男児が、マンションの部屋に閉じ込められて亡くなった事件(大阪二児置き去り死事件)。子どもたちはクーラーのついていない部屋に押し込められ、部屋と玄関のあいだの戸口には出られないように粘着テープが外側から貼られた跡があった。子どもたちの遺体が発見されたのは、風俗店で働いていた23歳の母親が最後に部屋を出てから約50日後だった。そのあいだに母親は、SNSに遊びまわるようすを投稿していた。

事件後、母親が厳しく糾弾されたが、杉山はその母親の別の側面を見ていた。詳しいことは『ルポ 虐待』に記されている。読むのがつらいだろうが、一読をおすすめしたい。

彼女は中学生のときに集団レイプにあっている。しかし、父親にも母親にも、そのことを話さなかった。中学生のときから家出を繰り返した。結婚後、ふたりの子どもはしっかり育てていた。けれども、浮気をして、子どもを置いて家を出て、家に戻ると家族会議が待っていた。