なぜ都市づくりに手をつけなかったか

西欧の大都市の街並みは、どこも見事なものだ。ロシア第2の都市・サンクトペテルブルクに行くと、遷都したピョートル大帝の稀有壮大な構想力に圧倒される。いささかパリへの憧れが強すぎるきらいはあるものの、バロック様式と古典主義様式が融合した建築物の数々が運河で切り分けられた島々に浮かぶ威容は、「北方のベネチア」と呼ばれるにふさわしい。

超高層ビルが林立し“中国のマンハッタン”と化した上海の街並み。

超高層ビルが林立し“中国のマンハッタン”と化した上海の街並み。

ルイ14世が遷都してベルサイユ宮殿を築いたパリ。ヘンリー八世が開発したロンドン。専制君主の国ばかりではない。今から100年前、イギリスを抜いてアメリカの産業が世界一になった頃のニューヨークでも、世界の首都を目指した壮大な都市開発が行われた。マンハッタンの街並みなど20世紀の首都にふさわしい貫禄がある。網の目のようにレイアウトされた区画に高層ビルが密集して立ち並び、商業施設と居住区がえもいわれぬ調和を奏で、その外周をFDRという高速道路が走っている。

しかも驚くのは、100年前に地下の共同溝に電線や上下水道などを埋設したことだ。だからマンハッタンには目障りな電柱が1本もない。

また、近年ハイレベルな都市づくりが進んでいるのが中国。オリンピックで北京に行った旅行者は驚いたと思うが、市内は立体交差が張り巡らされていて、立体都市へと変貌を遂げている。

北京に21世紀の首都は渡さないという勢いで上海の開発も進み、高層ビルの数はニューヨークを抜いて今や世界一だ。南の首都として存在感を増している広州、重化学工業の中心地でありソフトウエアパーク化も著しい遼東半島の大連、山東半島で旧ドイツ植民地の面影を残したヨーロッパ風の街並みが美しい青島など、中国だけで21世紀の首都候補が5つも6つもある。

日本でも群雄割拠した戦国の世には、工夫を凝らした街づくりが行われていた。織田信長にしても豊臣秀吉にしても、太田道灌、徳川家康にしても、一国一城を築くときには防衛や防災の知恵を絞り、民生面も考慮しながらゼロから城下町をレイアウトした。

しかし戦後60年、東京の街並みは闇市以来の自然発生的な流れのまま形づくられてきただけで、政治家は都市づくりに手をつけてこなかった。これだけ豊かになっても、日本には21世紀の街並みというものがない。