創価学会の子供たちは「神社の鳥居」をくぐることができない。このため修学旅行や初詣で、周囲から疎まれることがある。命名の由来でも、2世は問題に直面しやすい。宗教学者の島田裕巳氏は、「信教の自由を重んじるのであれば、なんらかの配慮は必要なはず」と指摘する――。

※本稿は、島田裕巳『親が創価学会』(イースト新書)の第2章「『親が創価学会』だとどうなるのか」と、第3章「なぜトラブルに直面するのか」の一部を再編集したものです。

2006年10月7日、東京・八王子市の創価大学にて、北京師範大学から名誉教授の称号を贈られ、拍手する創価学会の池田大作名誉会長(写真=時事通信フォト)

学会員のステータス「命名は池田先生」

「親が創価学会」というとき、生まれて最初に起こる問題が命名である。

赤ん坊が生まれたとき、出生後2週間以内に届け出をしなければならないことが法律で定められている。その際、赤ん坊には名前が必要である。

誰が赤ん坊の名前を決めるのか、命名者が誰かは重要である。現在では、親がつけることがほとんどだろう。だが、創価学会の会員だと、「池田先生」に命名してもらうという選択肢がある。

池田氏に赤ん坊の命名をしてもらいたいときには、定められた手続きが必要だ。

地域の拠点となる会館に出向き、そこで申請用紙に記入する。すると、その書類は本部に送られる。命名がおこなわれると、書類を提出した会館から返事がある。申請者が会館へ出向くと、きれいな和紙に毛筆で赤ん坊の名前が記されている。その紙がまだ実家にあるという会員も少なくないだろう。

池田氏に命名してもらった会員の子弟がどれほどの数にのぼるかはわからない。ただ、命名してもらった会員は、ほかの会員からうらやましがられることが少なくない。

多忙な池田氏が、申請された一人ひとりの名前を実際につけているのかどうか、それはわからない。精力的に各地をまわり、会員を激励し続けてきたことから考えれば、池田氏本人が命名してきた可能性も考えられる。少なくとも会員は、「自分の子どもは池田先生に命名してもらった」と信じている。

子どもにとっては一生のコンプレックスになることも

ただ、名づけ親が池田氏であることで嫌な思いをする子どももいる。

学校で、自分の名前がどのようにしてつけられたのか調べるといった授業もある。そのとき調べてみて、名づけたのは親ではなく、池田氏だということを知る。子ども自身がそのことをどのように感じるかということもあるが、学校でその事実を公表しなければならなくなる。

ほかの子どもはたいがい、親や祖父母につけてもらったと答える。となると、自分だけ違うということがコンプレックスになったり、これは人に告げてはならないと感じるようになったりもする。それは創価学会にちなむ名前をつけられている場合も同じだ。

そうした事実を学校で明らかにすると、何か問題が起こると感じているようなときには、命名の由来を曖昧にしか言えなかったり、隠そうとしたりする。名前は簡単には変えられないものなので、子どもにとっては生涯続くコンプレックスとなることもある。