京都大学の本庶佑教授は、ノーベル医学生理学賞の受賞発表後の会見で、なにを話したのか。京都新聞の広瀬一隆記者は「なにげない言葉に込められた『医学者』としての自覚が、研究を病気の治療や診断につなげる執念の強さにむすびついていると感じた」と振り返る――。

※本稿は、広瀬一隆『京都大とノーベル賞 本庶佑と伝説の研究室』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

2018年10月01日、ノーベル医学生理学賞の受賞が決まり、記者会見で笑顔を見せる京都大学の本庶佑特別教授(写真=時事通信フォト)

ジャケットにノーネクタイという普段着

記者会見場は、京都大の正門そばにある時計台の2階だった。100人を超える報道陣でごった返す会場の最前列に私は陣取った。しばらくして総長の山極寿一らとともに、ジャケットにノーネクタイという普段着の本庶佑が入ってきた。一斉にフラッシュがたかれシャッター音が会場を埋めつくす。

本庶は着席するとゆっくりと報道陣をみまわした。カメラの放列を前にしても表情一つ変えない。落ち着いた振る舞いは、さすがだった。

山極のあいさつが終わると、本庶は共同研究者や家族らへ礼を述べてから、受賞の知らせを受けた思いを語りはじめた。

「この治療法によって重い病気から回復して元気になった、あなたのおかげだといわれるときがあると、自分の研究に意味があったということを実感し、なによりうれしい。その上にこのような賞をいただき、幸運な人間だと思っています」

いつもと変わらない、考えながら言葉を選んでいることがわかるゆったりした語り口だ。少しだけゆるんだ口元から、受賞の喜びが伝わってきた。

さらに本庶の言葉はつづく。「基礎的な研究から臨床につながるような発展、ということで受賞できました。基礎医学分野の発展がいっそう加速し、多くの研究者を勇気づけることになれば望外の喜びです」

ノーベル賞が基礎医学の価値を証明してくれる

医師ながら、実験室が闘いの舞台である基礎医学の道を歩んできた自負がのぞく言葉だった。

医学部を卒業して医師免許を取得した後には大きく二つの道がある。一つは医師として、患者の治療に心をくだく道だ。往々にして注目を浴びるのは、すばらしい手術の腕をもつ外科医など実際に患者を治療する医師だろう。テレビ番組のドキュメンタリーで取材されたり、ドラマの主人公になったりする多くはこのタイプだ。医学部に進む学生のほとんどは、医療現場で働くことを目標としていると思う。

しかしもう一つの選択肢がある。本庶のように、科学者として基礎医学を極める道だ。

患者を直接診る医師と比べて、科学的な探究にかかわる基礎医学の研究者はどうしても地味になる。日々ドラマが起こるわけではなく、実験室での研究の積み重ねが大切な仕事だ。ただときには、革新的な治療法に道をひらくこともある。

それをノーベル賞の受賞によって証明することができたのだ。