貨幣は、わたしたちの経済生活の隅々にまで浸透している。貨幣を用いない取引は存在しない、といっていい。しかし、だからこそわたしたちは、貨幣の存在のおかげで経済の本質を見失ってしまうものなのだ。

実は、プロの経済学者と一般人の最も大きな違いは、貨幣をはさまずにものを考えることができるかどうか、だといっていいのだ。これは物理学者が重力や摩擦の働かない理想空間での運動法則を想像できるのと似ている。

さきほど「有効需要の原理」や「投資と貯蓄の均等原理」を解説するとき、貨幣を用いた金銭タームで説明するのをわざと避け、財(製品やサービスそのもの)のタームで述べたのも、貨幣がもたらす誤解を避け、ことの本質をストレートに理解するためであり、これこそ経済学者の面目躍如である。

この観点でいうなら、ケインズは、国全体で生産や消費や投資に何が起きているかを、いったん貨幣をはさまずに考え、有効需要の原理を思いついた。このように、貨幣なしに経済のマクロな構造を分析した上でケインズは、改めて、貨幣の役割を考察することに戻っている。このようなプロセスを経たことでケインズは、経済の中で貨幣がいかに特異な存在であるか、そういう視点にたどりついたのである。これは、物理学者が重力や摩擦がない理想空間での運動法則を理解したあとで初めて、地上での重力や摩擦の法則の特殊性を掌握できたことと対応する。

ケインズ経済学の本質は、あとあと説明するように、実は貨幣の存在に注目するところにある。つまり、我々にとって空気のような存在である貨幣が、経済の中で特異な役割を担うものと再認識するのがケインズの着想の核なのだ。だから、このことを踏まえるなら、むしろ、前もって貨幣を導入した解説をすることを試みたほうが今後の理解に都合がいい。そういう理由からここで、貨幣を導入した説明に切り替える。

わたしたちは、生産に従事したとき、その報酬は生産した財そのものではなく、貨幣で受けとるのが一般的である。有名家電メーカーが、平成不況のおり、ボーナスを貨幣ではなく自社製品によって支給した、という笑える話をそこに勤務する友人から聞いたことがあるが、こういうのはかなり例外的なことだ。そこで今、企業は財を生産したら、生産に携わった人にその報酬として、貢献分にあたる財ではなく同額の貨幣で支払うという、自然な仮定をしよう。つまり、企業は内部留保として貨幣を持っていて、それで報酬を支払っている、と設定する。