1999年6月、私はイタリアのヴェネチアで行われた第49回ヴェネチアビエンナーレの共同記者会見で、コミッショナーのハロルド・ゼーマンに1つの質問をしました。世界中から現代アート関係者が6000人以上集まるヴェネチアビエンナーレの共同記者会見は、ヴェネチアでもっとも大きいジャルディーニ公園の中で行われるのですが、300席ほど用意されるイスはすぐに満席になります。

シェン・ゼンの太鼓の作品
写真を拡大
シェン・ゼンの太鼓の作品

キャリアが感じられる白髪まじりのアートジャーナリストが多い中で、私のような日本人女性が手を上げるのはけっこうな度胸が必要でした。「今回の企画展に中国人アーティストは20名も選ばれているのに、なぜ日本人アーティストは全く選ばれなかったのでしょうか?」という私の問いに、「私が日本人アーティストを選ばなかった理由は、日本人は熱狂する、からです」とゼーマンは答えました。私は納得がいかず、追いかけて質問したのですが、残念ながらそれについての答えはありませんでした。

ところが、6年ほど経過して、都内の現代美術館のある国際派学芸員との対談で、その疑問が氷解したのです。あの時のヴェネチアでの企画展には、フランスと中国の間で両国の若いアーティストを積極的に世界へ押し出そうという、国家レベルでの話し合いがあり、そのキーパーソンとしてスイス人キュレーターのゼーマン氏がその役を担ったという、話でした。

アート業界でまことしやかに語られていることは、シラク大統領と江沢民国家主席が対談し、シラク大統領が江沢民主席に「中国の現代アーティストで世界的に活躍しているのは誰?」と聞き、江沢民主席が即座には答えられなかったことに端を発するらしいのです。答えられなかったということでプライドをいたく傷つけられた江沢民主席は、中国に戻り、すぐに現代アートの専門家を呼び、レクチャーを受け、ただちにヴェネチアビエンナーレで若い中国の現代アートを紹介するよう指示し、その役割を担ったのがゼーマン氏だったという噂話です。

確かに、99年のヴェネチアビエンナーレで一挙に世界的デビューを果たした20名の中国人アーティストは、その後、世界中のさまざまな展覧会に招待され、徐々にネームバリューが出て、アートフェアやアートオークションの常連になっていきました。ゼーマン氏が暗に言おうとしたのは、日本人だとマスコミも一緒になって熱狂してしまい、粛々と国益を実践するのは難しいという意味だったのだろうと、今は解釈しています。