こうして企業人として、技術者的な視点を西田はイランの地で身につけていく。

「メーカーという会社は数字と技術。なかでも技術が基本になっている」。メーカーの本質を理解していた西田は言葉通り数字を学び、技術にも旺盛な興味を示した。

「吉田さんは照明の専門家なんですよ。なんか1つくらい勝てないかなと思って、照明に使うガラスに目をつけたんですよ」

一時帰国した西田は本社のガラス事業部の技師長を訪ねる。

西田にはこんな目算があった。ガラスを扱う技術者たちの間で幻の名著といわれる『ハンドブック・オブ・グラスマニュファクチャリング』。すでに絶版だった同書を技師長が持っているとの情報を聞きつけ、借りに行った。

驚いたのは先方だった。なぜ自分の宝物をイラン帰りの見も知らぬ若造に貸さねばならぬのか明らかに迷惑顔だった。それを口説き落とし借りることに成功する。合わせて2巻の原書だが、読めども読めどもガラスの話が出てこない。ガラスの解説書なのにガラスが出てこない。ガラスを精製するために炉をどう構築したらよいのか、といった話しか出てこなかったという。西田がプロフェッショナルを志向する生き方を物語る一話だ。

東芝現地法人は軌道に乗ったが、それに反してイランの政治情勢は不安定になっていった。緩やかなイスラム教が生活全般に行き渡った穏健なイランは、共産党さえ存在する多数政党制であった。ところが、あるとき、一夜にして国王1人の独裁国家となってしまった。

西田は漏らしていた。「これでイランはダメになる」。西田の予言通り、79年、宗教指導者、ルーホッラー・ホメイニらによりイラン革命が起き、パーレビ国王は米国への亡命を余儀なくされる。

「矛盾が大きければ大きいほど状況は大きくまとまる。異分子を許容しなくなると組織はダメになっていく」

西田のビジネスマンとしてのスタートはイランという異国の地であった。この地で、彼はメーカー企業がどのように動かされ、技術がメーカーにとってどれほど重要かを身をもって学んだ。この体験なくして現在の西田の存在はないだろう。